皇紀1125年3月

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この軍事不可侵海域が出来上がったのは7年前、《遼》という《大和皇国》の隣、コーラフス大陸(漢字表記は庚羅付州大陸)から突き出た半島国家の海賊行為がそもそもの原因だといわれている。 当時(大和皇国)の商船団が次々に《遼》の海賊に襲われる事件があった。当然(大和皇国)は《遼》に取り締まるように再三要求したのだが、《遼》はその海賊達の勢いを借りて宣戦布告をだした。 理由は明白、彼等は《大和皇国》商船団のあまりの働きぶりに、《遼》の自国経済が立ち行かないところまできていたのだ。それ程まで《遼》の政府は《大和皇国》の商船団(皇国側では廻船問屋と言われる)輸入に依存し、自国貨幣の流出は止まる所を知らず、物価の上昇にも拍車がかかった。 爆発寸前の彼等の背を押したのは《遼》の宗主国である大国()だった。《蘇》にとっても《大和皇国》は眼の上のたんこぶとなりつつあった。 皇紀1118年に始まったこの戦はたった一年半という短さで終わった。《大和皇国》は《遼》の首都の遼府に入城、占領した。 その後、《大和皇国》は《遼》よりも戦争を唆した《蘇》に対して条約を結んだ。《遼》からは最早絞っても何もでないからである。《蘇》には、《遼》の独立を容認、及び、賠償金の支払いを命じた。《蘇》がつつがなく、それを行い、ここに《皇海紛争》は終わった。と、同時に二度とこうした事が起きないよう、如何なる軍船でも出入り禁止の軍事不可侵海域が定められた。
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