第二十一話

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 ある大雪が降った夜、誰かに呼ばれたように思い、多助は表へ出てみたのだが、そこには誰もいなかった。なぜかどうしても多助には、それがお雪に思えてならず、雪を掻き分けやって来たのは、初めて会った多摩川の土手。さ迷うようにお雪を探す、悲痛な姿は危なげであり、見た者がいればそれは恐らく、狂った老人のものだったろう。そんな姿が雪原に消え、只の雪景色に戻ったのなら、何が起きたのかは容易く分かる。  川の流れが緩やかだろうと、老いは抗う力を奪う。徐々に体が冷えて行き、朦朧となる意識の最中、再び声が聞こえてきた。 「アチキと山で出会ったことを、言わず終いは感心だったね。さあ死出の祝いに雪の布団に、くるまり抱いてあげましょう」  それはお雪と瓜二つだが、白い着物に白い帯、髪は結わずに垂れたまま、肌は正に雪のようだが、唇だけが妖しく赤い。 「お前はいったい何だったのだ。お雪は結局誰だったのだ」  媚びた笑いを目に浮かべ、女は多助に覆い被さり、顔を近づけ愛撫しながら、耳を舐めるように呟いた。 「お好きに呼んでくださいな、姿はあんたのお好みのまま、一時ごとにも変えますよ。子を残すのが男の摂理、死ぬ間際なら尚更ですから。アチキはそんないまわの際の、お相手をする魔物でありんす」  はち切れんばかりの一物で、多助は女を貪り食う。 「あん時あんたはしぶとくて、生きよう生きようと諦めんから、遂に吸い付くし切れんかったね。だけどさすがにもう終わりよのう、いい夢見ながら逝きしゃんせ」    *  翌朝船着き場に引っかかる、土左衛門が見つかった。  取り調べによると孫の一人が、厠で用をしていると、「お雪、お雪」と呼びながら、表へ出たのを見たのみで、家中総出で探したが、見つからないまま朝になり、先程漸く駆け付けたという。  里の者達の噂によれば、行方知れずの恋女房が、化けて迎えに現れたという。哀れに思った者達が、供養の為に塚を建て、後に調布橋が上を渡った。  (四拍読ミ終ワリ)    【終わりに】  かつて西洋では、不義の子を身籠った女性の言い訳や、男性の夢精を合理的に説明する為に、夢魔の存在を定義した。  ちなみに夢精は究極の快楽だと、何時か誰かが言っていた。  第二十一話  『夢魔』  ― 完 ―
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