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「お嫁に行きそびれたのかな」
尋ねると狐は頷いた。
特に悲しげという感じはしないが、途方に暮れているのがよく判る。
「僕もなかなか婿に呼ばれなくてね」
そう言うと、狐は少し微笑んだ。
もう大分前に亡くなった祖母が子供の頃には、狐に化かされる事件はそれほど珍しくはなかったそうだ。とはいえ、四国の深い山の中でのことである。卑下するつもりはないが、まだまだ山岳信仰が色濃く、不思議に出会すとそれを妖怪の仕業として納得しようとしたのだろうか。
妖怪とは言っても、同時に神でもある故に、彼等は決して狐狩りに出向くなどということはなかった。寧ろそんな目に会うのは自分達の落ち度からのこととして、一層の畏怖を山に持ったのだそうだ。
この神社とて、以前は山の中に位置していたのだろう。参道の入口となる住宅街は最新型の家が建ち並び、最近切り開かれたのが判る。もしかすると、狐はまだここいらには生息しているのかもしれない。
「なるほど、だから嫁入りしたんだね」
狐は頷いた。
このままここにいても、やがては住み家を追われるのは見えている。だから、他の土地に住む同族の元へ輿入れしなければならないのだろう。でも、どうして失敗したのだろうか。こんな花嫁衣装まで着込み、準備万端に見えるのだが。
狐は光線の中で渦巻く煙の中に白い人差し指を差し込むと、ぐるぐるとかき混ぜるように回した。
じっと掻き回される煙を見ているとピカッピカッと何かが光っている。雷だ。どうやら煙は本当の雲に変えられてしまい、稲光まで発したようだ。
すると、狐の両目からボロポロと涙が溢れたから、正直僕は慌ててしまった。わかってはいても、やはり花嫁衣装を着た女が涙を溢せば、困ってしまうのが男なのだ。
狐の涙は、オレンジ色の西陽に照らされキラキラと二粒だけが流れ落ち、そのあと狐は首を傾げて『というわけなのよ』、そんな感じのジェスチャーをすると、今度はニッコリと笑った。
なるほど、困ってはいるが悲観しているわけではないようだ。今の演出は僕に説明するためだけのものだったようだ。つまり、伝説通り晴れ間に雨が降っている間にだけ狐は嫁入りをするが、どうやらその時間が短すぎたらしく、間に合わなかったというわけらしい。次にそんな機会は中々来ないだろうから、途方に暮れていたのだろう。
一体何処へ嫁入りする筈だったのだろう。僕が思うに、これ程鬱蒼とした鎮守の森は、近頃中々無いようだ。だからこそ、僕はこうして自らさ迷いたくて入ってきたのだ。
そもそも神社とは建物をさす言葉ではないし、まして建物の為に森を配しているわけではない。寧ろ逆であり、土地の信仰対象である森に象徴として建物を配したものなのだ。僕の知る限りにおいて、近隣の神社には既に申し訳程度の『垣根』があるばかりだ。ならば、何も無理に他の土地に行く必要は無いように思う。
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