第二話

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 明治時代の後期、とある小さな新聞社の記事にこんなものがあった。 『五島列島にある百姓の家にクダンが産まれた。クダンはロシアとの開戦を予言し、絵にした自分の姿を玄関に貼り付け、三日以内に小豆を食べた者は災厄には遭わないだろうと言い残して死亡した』  今とは違い当時のことだから、この記事が掲載されたのは、事件から十年も経ってのことだった。    *  百姓をしていた弥彦の牛に子供が生まれたのだが、弥彦とその女房によれば、人の顔をした子牛であったので、恐ろしくなって首を切って殺してしまったという。  翌日になって、切り落とされた首を村人達が見たところ、確かに人の赤ん坊の顔をしていたが、上唇の真ん中から鼻にかけて裂けているのと、片目の周りが斑に黒ずんでおり、牛の様でもあったと多くの村人が証言している。  この時の長老が村人達に、これは件(クダン)と言う化物で、何か悪いことの前兆であると語ったそうだが、既に村ではこの数年立て続けに悪い事に見舞われていた。夏は寒くロクな収穫も無いまま、最初の冬には風邪が流行って、産まれた赤子は悉く死んでしまった。食うや食わずの生活に、娘が居る家には人買いが通いつめ、結局はどこの家でも娘を売ってしまう始末だったから、先々を添い遂げようとしていた若い男どもは皆精気を無くしてしまい、そんな村人の心を映し出すかの様に、いつも空はどんよりと曇っていた。  そんな訳で、これ以上どんなに悪い事が起こるとしても、村人達には想像もつかなかったので、きっとこの世の終わりでも来るのだろうと話していたところへ、都会から噂を聞き付けた新聞記者達がやって来た。彼等は牛の化け物を写真に収めたがったのだが、弥彦は腐ったので捨ててしまったと答えた。だから記者達は化け物の首を見たと言う者達に、一体どんな姿をしていたのかを一軒一軒尋ねて回った。  思い出すのも恐ろしい筈だったが、貧しい村のことだ、金を貰えると知ると、我も我もと化け物の姿を描いては、こんなだった、いやあんなだったと各々に答えたものだ。中には順番が回って来ないことに業を煮やして、玄関の軒先へ板切れに描いた件(クダン)を貼り付けて記者を待つ者さえいる始末だった。しかし、金を貰ったところで田舎のことだから、それを使うべき相手がいない。  丁度そこへ、町から時々行商にやってくる者が訪れた。 「今年は南で小豆が豊作だったので、安いから買わんかね」  村人達にとって小豆は高級品であったが、こんな機会だったからよく売れたそうだ。 「近く戦争があるそうじゃ。心配じゃなあ……」  こういった行商人は、村の外から色々と新しい事柄を持ってくるという役目も担っていたので、まだ取材の順が回って来ず、金が無い家には取り敢えず挨拶がてらこんな話をして歩いた。化け物の話を村の外に伝えたのも、この者である。  そんなこんなで一時は大騒ぎであったが、その頃の村には未だ新聞というものが無かったので、結局どんな記事になったのかを村人達は知る由もなく、やがては誰もが忘れてしまっていた。    *  それから十年もしてこの記事が報道され、新聞社は直ぐに当局からスパイ容疑がかけられ、この記事の出所を知らせるように要請があった。担当記者は既に退職していたが、新聞社はその記録から正直に出所を伝えたので、一時は容疑も晴れて事なきを得たのだが、なんとこの報道のあった年の内に、化け物の予言が的中したものだから、世間は面白がって大喜びとなり、関係者は再び窮地に追い込まれることになった。というのも、当局は村へ役人を送り込み、スパイ容疑で弥彦を含めた数人を逮捕して、事の真相を追及したのだが、実態は記事と大きく違うと判ったからだ。  捕らえられた村人達は難を逃れ釈放されたが、弥彦とその女房だけは別件で再逮捕となってしまった。何故なら調査の際に弥彦の家の床下から、子牛の頭骨と人間の赤子の首無しの遺体が発見されたからだ。弥彦夫婦には十年前に六人もの子供がおり、生活は困窮していた。  そういえば……、事件はあの凶作の続いた年の事だった。  第二話  『件(クダン)』  ― 完 ―
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