第三十一話

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「もし俺がこの事を話していたら、あんたどうしたかな……?」  無論、英雄にしてみれば教えて欲しいところではあったが、結局教えられたところで今回の事態に大きな変化はなかったように思われる。恐らく敏子は英雄の申し出の一切を拒否したであろうからだ。 「話したとしても変わらなかったかな?」 「僕が自己満足できただけでしょうね。山田さんには何の罪もありませんよ、気にしないでください」 「そうか……、安心したよ。それじゃ俺は帰る。また岩場を借りることもあるだろうから宜しくな」  山田が病室を去ると、英雄は再び睡魔に襲われ、夢の続きを見るのだった。    【二十三】  ――――  すやすやと眠る男の顔を覗き込みながら人魚姫は、やはり自分には殺すことなどできないと思った。姉達の献身的な犠牲心には申し訳ないのだが、そもそもが摂理に反する虚しい願いに過ぎないことなのだ。痛みを伴うが故に正当化するこの足とて、所詮は後付けの偽物である。自分とてこのような二本もある突起物を美しいなどと思ったことはない。只、この男と同種の生き物になりたかっただけのことなのだ。それが分かったからこそ、先程は身を退くつもりでバルコニーに立った。それなのに姉達は、人魚姫に新たな苦しみを与えた。しかし与えられた苦しみは、善意と献身的な愛故であることは十分に承知している。  この男も、妻となる女も、父親も姉達も、また悪人とされる魔女とて、すべての者が自分の為に力を注いでくれたのに、なぜこれ程までに苦しまねばならないのだろうか。そして最後の選択肢は、男の死か自分の死になってしまった。  もし姉達への義理を通し、男を殺して自分が元の姿へ戻ったとしても、それで苦しみの輪廻から抜け出られそうにはない。ならばやはり引き返し、人知れず消えてしまうのが最善に思えたのだ。  人魚姫は男に気づかれないよう、寝顔にそっと口づけをした。そして朝日を浴びるバルコニーへ再び戻ると、海へと飛び降りたのだった。 第三十一話 『洋上の月に問う影絵』 <第二部> 了 (第三部へつづく)
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