第十二章─歪みに至るための六つの傷風景─

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「さてと、どうしたもんか」 これは夢のようなものだ。 今までに何度も経験があるために、分かっている。 ここでの時間の経過と現実の時間の経過は同じではない。 なので、現実に帰還すればその瞬間に死んでしまってもおかしくはない。 理由は分からないが、そう思うと好都合に思える。 「……こんにちは」 不意に、聞き覚えのある声が聞こえた。 意表をつかれて動揺してしまい、弾けるように立ち上がった。 目の前に、いつの間にか、見覚えのある女性の姿があった。 振り袖。しかし腹の部分がなく、ヘソが丸出し。奇妙だがどこか美しくもあるその出で立ちの人物を、オレは一人しか知らない。 顔など見なくとも、他に名前など出てきはしない。 「里……桜さん……?」 川添里桜。 オレの前に天使の歌を宿していた女性であり、オレのために消えた──はずの女性。 二度と会えないはずの恩人が、今、目の前に立っていた。 「こちらです」 里桜さんはクルリと身を翻し、背中を向けた。 そして、歩き出した。 「ま──ちょっと待って!」 慌てて走り出し、その後を追う。 急に、白一色だったはずの空間に色が加わる。 「は……は?」 変わっていく景色に気を取られていると、目の前から里桜さんの姿はどこかへと消えてしまっていた。
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