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「あいてて、肘打っちゃいました……」
「そうだな、ガンッて音したもんな」
肘を押さえ、上半身を捻って恨めしそうに自販機を見つめる少女に、こちらはため息をつくしかない。
彼女のソレは確実に逆恨みなのだろうが、そちらには触れないでおこう。
しかし、この様子を見る限り、彼女の肘は特に問題無いようだ。
ひどく痛めた感じもない。
むしろ、自販機が壊れていないかどうかが心配だ。
そのくらい鈍い音がしたのだ。
「……そろそろ話を聞いてくれるか?」
「あっ、す、すみません!」
勢いよく上半身の捻りを戻し、俺を見上げる少女。
自販機を睨んでいた時にずれていたヘアピンをちゃっかり整えていたようだ。
今は、しっかりと2つの大きな瞳が俺を見上げていた。
とりあえず何から訊けばよいものか、と思案を巡らせると、突然、少女が思い出したように手を挙げた。
「えっと、私は七瀬であってます!」
「あっ、ちゃんと聞いてたんだな」
「相川七瀬です!」
「…………」
な、七瀬って苗字じゃなかったのか……。
確かに、やたら仲のいいはずの妹が、彼女を苗字で呼んでいるのは何故なんだろうと思っていたのだが、ようやく理解した。
そうとわかれば、俺が七瀬と呼んだ時の慌てようも理解できる。
寝起きに突然知らない異性から下の名前で呼ばれたら、誰だって驚くだろう。
さすがに自販機で肘打つ程ではないとは思うけれど……。
「……じゃあ、相川は」
「別に七瀬でも良いですよ? 真奈美のお兄さん」
苗字で呼ばれたのが不可解だったのか、彼女が首を傾げる。
真奈美というのは、もちろん、俺のだらしない一つ年下の妹のことである。
どうやら、彼女は俺のことを覚えてくれていたらしい。
しかも、大して話したこともないのに名前で呼ぶことを許してくれる寛容っぷり。
ここはもちろん慎んで辞退するべきだろう。
……しかし、妹からこの少女の話を散々聞かされた俺にとって、彼女はやっぱり七瀬というイメージが強いのだ。
妹と彼女が仲良くなった四月の初めから今までずっと、俺の中で彼女は七瀬だった。
だから、七瀬と呼ぶ方がシックリくるのも事実だった。
わざわざ許可をもらったんだし……と自分に言い訳をして、せっかくなので七瀬と呼ばせてもらうことにしよう。
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