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誰かを呼ぶ声が聞こえる。その誰かが自分だとわかったのは、青年がまどろみから覚めたしばらく後の事だった。
「あんた何やってんの? さっきから全く動いてないじゃい。今撤退中よ撤退中!」
左耳につけている、刻印が刻まれた板状の装飾のピアスから、憤慨した様子の若い女の声が響く。譜術を用いた通信術式で、ピアスに自身の嬰素を込めて連絡をとるものだ。それだけでなく、周辺の索敵も行える。術式を組んだものが一定内の距離にいなければ機能しないという欠点はあるが、それでも利便性と汎用性は高い。しかし反面高度で稀少なもので、扱える者は限られている。青年の知る限りでは、それは一人だけだった。
「少し休憩してただけですよ、誰かさんの人使いが荒いから。ねぇ、リィナ先輩」
「いい度胸ね。それを買ってあんた次の作品で主役にしてあげるわ。時事ネタで、シュトローベルのカラクリ兵に責められるやつ」
目上には逆らうものではない。術式を介してこちらと遣り取りをする彼女の副業が官能作家である思い出し、その台詞に冷や汗を頬へ伝わせた。いや、戦時中でも営地で遠慮無く原稿を書きまくっている様子から、もしかしたらこちらが副業ではないかと本気で思う。片手間で兵士とは酔狂とした思えないが。
「あ、ウンディーナの魔獣兵でもいいけど、どうする? 飛竜兵もありね。特別に選ばせてあげるわ」
「どれも嫌だよ!」
無言の隙に畳みかけてくる相手の声音は、当初とは打って変わって上機嫌だ。よく聞けば紙にペンを走らせる音も聞こえる。今作戦中だよね? と心中で問い掛けながら、青年は拒否の叫びを通信に乗せた。
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