消失

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 よろしくおねがいします、とおとうさん。無音であたまを下げる、おかあさん。彼女のご両親が、ぼくに懇願した。婚姻届は、まだ出してはいなかった。  町の中心、市役所の程近いところに白い建物が位置していました。その建物の三階の東側に心臓外科の一角があり、寿命を迎えた蛍光灯の一つが明滅を繰り返す小部屋に、おとうさんとおかあさんが通されました。いたたまれなくなったぼくを見かねたおとうさんが背中を押して、ついにぼくも中に入れてくれました。  褪せたクリーム色の壁が、この建物の年齢を如実に表しているようで、おそらく築10年といったところです。  白衣を纏った彼が、彼だとはっきりとわかるのに数秒かかってしまいました。彼はいつもニコニコしていて、本当に営業スマイルを思わせない風貌を、会うごとに絶やしていなかったからです。今日の彼は、5歳くらい老けたように見えます。  白衣の彼がパイプ椅子からお尻をあげ、おとうさんとおかあさんを認めて、一礼しました。  おとうさんの後ろにいるぼくに気づき、一瞥するも、彼は目で挨拶しただけで、すぐにまたパイプ椅子に座り直しました。  2畳くらいの茶色の机を挟んで、白衣の彼と、おとうさん、おかあさんが座るのを見て、壁に立て掛けてあった幾つかの椅子の内の一つを取り、机から少し外れた場所に座ったのですが、おとうさんがぼくを見て手招きしました。ぼくは仕方なく、白衣の彼を、おとうさんとおかあさんとで挟む形を取りました。  ぼくたちがこの一室に入ったころには既に空気は張りつめており、日の入るような部屋ではないものの、蛍光灯の人工的な光が、覚えのない罪を着せるように否応なくぼくたちを照らしました。  喉を少し唸らせてから、娘さんの容態ですが、と目の前の彼が話始めました。
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