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つまるところ、僕は演じることに慣れすぎていた。そして慣れすぎていたからこそ、台本通りに完璧に演じることしか知らなかったからこそ、
カデンツァ
僕は 即興 にはひどく無力で――例えばこういう時、どうリアクションして良いのか解らない。
「動いちゃダメだよ、キミが動くとイッちゃうから」
甘く脳幹をくすぐる声音、つくりものみたいに柔らかで熱をおびた肢体。
三日月照らすがらんどうの路地裏、僕に跨がる彼女は火照る吐息を押し殺してそう囁いた。
「んっ……そうそう、そのままそのまま…身じろぎぐらいはイイけど、絶対に動かないでね」
芳香とした蜜色の髪と、猫みたいに狡知な瞳。
はだけたワイシャツから覗く肢体は月明りに照らされてなお朱を差して、艶と光る珠の汗が彼女の体温を物語る。
「ふ、う……だいぶ、落ち着いてきたかな。……そろそろイイよ」
一夜、真夏と紛う春の夜の夢。
ひどく不明瞭な景色の中、曖昧で模糊な意識が延々と僕を駆け巡る。
僕はこんなシナリオを知らない。こんなイベントを仕組んでない。こんなフラグを立てた覚えはない。
僕は今、僕を演じれてない。
本来なら舞台はここじゃない。彼女の背中越し、耳をすませば聞こえてくる騒音に囲まれて、月が真上に見えても灯の絶えないあの場所、雑踏ひしめく大都市こそが、僕が他人を俯瞰し僕を演じるに相応しい舞台だ。
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