何かが足りない日常

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アパートの前に着き、階段に一歩、足を掛けてから立ち止まる。 誰かの目がある訳でもないのに、ましてや後ろめたい事など何もないのに、なんとなく周りを気にしながら然り気無く、暗がりの中に佇む隣の家を視界の端に映した。 “売物件”と書かれた看板が立て掛けられ、雨戸が全て閉めきられたその家は、主を失って寂しそうに見える。 すると、まるで侵食するようにじわりと胸苦しさが広がってきたから、避けるように視線を戻し、わざとらしく音を立てて階段を上った。 鉄製の錆びたそれは、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い金切り声で鳴いて、鬱々とした俺の思考を奪っていく。 階段を上りきってすぐ、お世辞にも綺麗とは言い難い小さな自分の部屋が目に留まってやっと、一息つける。 ドアに作り付けられたポストに無造作に押し込まれた夕刊を引き抜くと、鍵を開け、玄関のドアを引いた。 そして少し緊張しながら、ドアの内側にあるポストの取り出し口に手を伸ばす。   「……ない、か」 そんな呟きが溜め息と一緒に口を衝いて出てしまい、何の意味もないのに小さく咳払いをする。  
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