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後ろには水色の壁。目の前には彼。耳に触れるか触れないかの距離に右腕を伸ばして、逃げ道を塞ぐ。横目で腕を見たら血管が浮いていた。呼吸は荒い。あたしは目を合わせない。
『おい、俺を見ろよ』
空いていた左手であたしの両頬を挟んで上に向けた。細くて切れ長の目があたしを見下ろす。心臓が一度大きく鳴ったと思った時には、舌のざらざらした感覚とアルコールの匂いを感じていた。彼の長い前髪があたしのまつ毛に触れた。あたしはゆっくり、目を閉じた。
桜の咲かない入学式。代わりに吹雪すらあり得る四月。制服を着れば誰も疑わないような初々しさの残る女の子と、幼さの残る男の子。数百人の学生が楽しくもない式をこれほどまでに生き生きとした表情で臨むなら、日本もまだ捨てたもんじゃないな。
この機を逃すものかと、積極的に話しかける子。人見知りを発揮して時間が過ぎるのをただ祈る子。見渡せば色んな人がいるけれど、このご時世に教師になろうなんてきっとみんな根は真面目なんだ、とどこか他人事に思った。あたしだってその一人なのにね。
たとえ目の色が緑でも。髪の色が赤でも。
あたしを二度見する真面目系男子、こそこそ話すギャル集団、目も合わせないオタク系女子。そんなのはもう慣れたよ。あたしのこの見た目を、大体の人がよくは思っていなかったと思うけれど、良くも悪くもこの何百人という人の視線を一人占めできることに快感すら感じた。あたしは坦々と新入生代表の挨拶を進めた。
まさか大学教授もこんな頭の沸いた見た目の女が、センター試験で満点近く取ったなんて思わなかっただろうね。ごめんね。だけど教授だって一応は教育者でしょう?だったら人を見た目で判断してはいけないよ。なんてことを考えながら、あたしはステージ下を見下ろした。性格の悪いあたしはそれから優越感に浸りながらゆっくりとステージを降りた。
あたしが降りた階段側の通路の前から二列目に、あたしと並んでも遜色ないような男がいた。長めの白金の髪を右側だけ刈り上げて、見えた耳からは、この通り過ぎる一瞬だけでは正確に把握できない数のピアス。
目が合った。すごく長く感じた。逸らしたら負けだと思ったんだ。
この日この瞬間から、始まっていたんだ。
あたしの四年間が始まった。
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