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1989年1月
杉並区 南阿佐ヶ谷
「丸尾さん。なんだかすっきりした顔をしてるね」
カレーハウスプーリーのカウンター越しに、マスターの桑島が声をかけた。
「ああ、複雑なものはあるけどね。自分が自分に戻ることは必要なことだと思う」
知花昌一の支援団体の事務局長を辞めて、政治問題からリタイアしたのが、年末。
沖縄国体において、ソフトボールの会場だった読谷球場で、掲揚された日の丸を引きずり下ろし、焼却した事件は、さしたる話題にもならなかったが、日本の再軍国化、皇民化の流れ、つまり戦争のできる日本を作っていこうとする流れに対して、丸尾が闘うには、ちょうどいい足場に思えた。
丸尾は再び上京して、K大学の三年生になっていた。しかし、ほとんど学校には行かず、カレー屋のカウンターで、昼はワープロを打ち、夜は飲んだくれていた。
そして、沖縄民謡コンサートを主催する、市民団体に接近し、それが知花昌一の支援団体だと判ると、積極的にそれに参加していった。
もちろん、その支援団体の正体が、革共同中核派であることをすぐに知ったのだが。
反戦、非戦、平和を丸尾はセクトが絡んだ団体の中でも、自分を失わずに、主張し、それなりに情宣していったつもりだった。
そして、様々な立場の現役の人間が生息する東京西郊で、本当に様々な人間と出会い、大学以上に学修することができていた。
その中で、中核派の長谷川英憲を都会議員に当選させるという思わぬ結果さえ手にしていた。
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