蹉跌

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 そして、昭和天皇の命脈も尽きようとしているころ、丸尾は、組織からの決別を宣言したのだ。  暴力革命を志向し、しかも、内ゲバの最大テロリスト機関でもある中核派に、丸尾の反戦、非戦、平和は、同じ言葉を掲げながら、全然相容れないものなのだ。  差別、不平等の象徴としての天皇制。その、矛盾がはっきりと沖縄の歴史に出ているではないか。その中での正当な抗議デモンストレーションとしての、日の丸焼き捨て。  しかし、右翼や、ブルジョアよりも左翼を殺した数の方が多いこの組織は、やはり、組織でしかなかった。  長谷川が都議に当選してから、選挙のために全国から選抜されて集まってきていた現場のメンバーが、関西の選挙のために移動していった。  東京に残ったメンバーは、官僚的だったり、想像力が欠如していたりした。  丸尾は、自分が人間のスクラムの中にいたことを認識した。  組織に組み込まれそうになっては、ならなかった。  そして、カレー屋プーリーが今年も営業を開始し、すぐに、元号は昭和から平成に変わった。  昭和天皇が、昭和天皇のままに世を去って行った。  それは、丸尾の敗北だった。  平成。  この、新しい天皇の時代を、人殺しのない、国家に人殺しを強要されない時代にする。戦いのラウンドは新しくなっていた。  だが、
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