星陵郭へ

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 その頃から墨山の走り方は特徴的であった。  どたばたと忙しなく手足を動かし、前では無く、まるで地面の下へ向かっていくような走り方に、生徒達は日頃の鬱憤晴らしも兼ねて陰口を叩いたものだ。 『墨山助教は走る機能を持たずに生まれた』 『墨山助教が走れたら、遍く世界を征服できる』 『墨山助教は実は皇室の生まれ』  疲労の極みの中で、黛武彦ら級友達と隠れて話した陰口の数々を黒壁は今でも明確に覚えている。  十代の他愛もない発想から生まれた笑い話。  そんな下らないことで笑いあえたあの日々、いずれ戦場へ向かうことが分かっていながら、黒壁も誰も現実感を持てていなかったのかもしれない。  任官してから今日まで、小さな反乱、賊討伐、そしてウラシオス帝国との会戦の中で、すでに幾人もの級友たちがその命を散らしていることを黒壁は知っていた。  墨山を始め士官学校の教官や助教官を務める者は、実戦経験が必須である。  特に助教となる下士官達は、いずれ上官になるかもしれない者だからといって、迎合したり機嫌を取るなど考える暇など無い。  とにかく時間が無いのだ。  十代半ばの餓鬼共を、数年で一人前に仕立て、経験豊富な下士官の上に立って顎で使える将校に作り替えなければならないのだ。命を預け従うに足る命令を下せる将校に。  焦りは、世間知らずの生徒共などとはと比較にならない。  下士官と兵に命令を下す将校が無能であれば、自身の死に直結する。
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