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 併(しか)し乍(なが)ら、菊間は笑わなかった。自分に対する、近藤の懇切な念が伝わってきたのだ。此処で一笑に付してしまえば、彼は大学校への道を諦観的に捉えてしまうという危うさを気取っていた。  又、未熟な自分にも物事の真贋(しんがん)を見極める眼に、多少の自信は持っているつもりだった。 「然様、学生の時分に御前さんは妙な事を云っていたなあ」  菊間が回顧に耽(ふけ)っていると、近藤ははたと神妙な面持ちになって云った。俯き、顎に手を添えている。大学校時代から伸ばすようになった髭が、剛毛に見えて痛そうである。 「何の事だい。悪いが、僕は君より真面(まとも)な言葉遣いだった気がするがね」 「いいや、そういう事じゃないんだ。只な、御前さんがあんまり美丈夫になったもので、ちょいと思い出したのさ」 「気味が悪い。野郎二人がでこ突き合わして云う台詞じゃなかろうに。美丈夫だなんて」  菊間は開衿(シャツ)の釦(ボタン)を一つ外した。汗が吹き出る。 「まあ、詰まる処だな」  御前さんが何故此処に来たか、判る気もするのだ――。と近藤は藍鼠(あいねず)の着流しの袖からゴールデンバットを取り出すと、傍らに置かれた真鍮の煙草盆より燐寸(マッチ)を摘んで火を点けた。 「要領を得ないなあ。君は何が云いたいのだい?」 「俺の話は好いんだ。本題に入ってくれ」  近藤は紫煙をくゆらせながら、旨そうに煙草を吸っている。  此れ以上、云いかけた話を訊き出すのもおとましくない。  菊間は、洋袴(ズボン)の隠しから簪(かんざし)を取り出して、卓の上に置いた。麻の葉柄の、飴色した簪である。丁度掌に納まるもので、櫛の部分が独特の曲線を描いている。  近藤が簪を手に取り、まじまじと瞠目(どうもく)した。 「ほう、此奴(こいつ)は本鼈甲(ほんべっこう)の透(す)かし細工じゃねえか。こんな高価なもんを一体如何したんだい?」 「其れが判然としない。本当なんだ。朝起きたら、部屋に在った」  近藤はせせら笑った。 「若しかして御前さん、俺に見合い話でも持って来てくれたのかい」 「真剣に聞いておくれよ。僕は混乱しているんだ」  近藤は、尚も抗議しようとする菊間を両手で制した。 「ああ、判っているさ。済まない。併しなあ、菊ちゃんよ」  態(わざ)とらしく咳き込んで、近藤は短くなった煙草を揉み消した。 「女絡みの話なら、俺の処に来るのは見当違いだ」
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