怪盗

4/22
前へ
/113ページ
次へ
 人間は研究者や少女の実の弟以外、ここに連れてこられてから見た事のない少女は得体の知れない男に恐怖しか覚えず、また少し後退る。 検査の為裸足だった足が冷たい床を鳴らす。  「……強いて言うなら、怪盗だ」 カメラを置き、ベットから立ち上がると男は今度は苦笑を浮かべて答えた。 その答えに、少女は目を丸くする。 基礎教育は一応受けている。 文字も読める事から、自分が大人しくしていると研究者達はご褒美だと称して空想物語の本を与えてくれる事が稀にあった。 部屋にある古びた小説がそれにあたり、大切にしていたその中にその単語があった。  「怪盗って……。宝石とか、盗む人?」 「私が盗むのは、宝石ばかりではないがね。納得する依頼があれば、何でもだ」 この街ではそれなりに有名だと、男はにこやかに続けたが少女は困惑する。  街、と言っても、少女はこの建物の外の事は全く知らない。 外とは何年も隔絶されているのだから。 外との接点といえば、高所にあるこの部屋から見える夜景や、研究者達が雑談をしている時に耳に入る言葉くらいだ。  困惑した表情を浮かべて固まっている少女を尻目に、男はゆっくりと近付いてくる。 目の前で立ち止まった男を、少女はその表情のまま見上げた。 長身の男だ。自分の目線が男の胸、頭がギリギリ肩に届くくらいだ。 自分が小柄で、男が長身と言われる部類である事は研究者達の身体付きを思い出してみればわかった。  「私は、君を盗みに来たんだよ。セシル・エルンストと言う名前の少女をね」 正確に名前を言い当てた男に、少女は目を丸くした。  性別は今着ている衣服を見れば予測は出来よう。細い肩紐で肩も露(あらわ)でストンと下に落ちただけのワンピースのような服だ。 身体に密着するような服ではないが、僅かばかりの胸の膨らみもなんとなくわかる程度の服。  名前となると訳が違う。 『セシル』が男性名であるのもあるが、もう何年もその名前を呼ばれた事がなかった。 ただ対象として「ヨビ」。 あるいは「研究資料」、もしくは短い「おい」や「あなた」等と呼ぶだけだ。もっと短くなると「腕」と検査に必要な部位を一言言ったりするだけだ。 滅多に会えない実の弟でも「お姉ちゃん」と呼ぶ。 母親が亡くなってから、もう何年も名前を呼ばれる事はなかった。
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加