明日の朝は… …

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どうやら、リリィはその騎士を見たこともなかったのですが、向こうはよく知っている様子に思えたと少女は語ります。 女性騎士は青銀の軽装の鎧を身に纏い、艶やかな栗色の肩までの髪を垂らしている姿でしたが、その注目というよりは、注意と怒りの視線はリリィを掴まえている不健康そうな兵士達に注がれていました。 『そして、(けい)等は、賢者殿、恐らくは国最高峰の賢者殿の、世話役の巫女殿に対して、何をしているのかな?』 高潔で美しい女性騎士が冷たく、鋭く射るような視線をリリィの腕を掴む兵士達に向けて詰問を行いました。 兵士は三人とも互いに顔を見合わせて、明らかに自分より身分が上の軍人の登場に驚き動揺し、ごく小さな声ですが"聞いていないぞ"と、三人の不健康そうな兵士達は誰ともなく口にしていたと、リリィはアルスに語って更に続けます。 『何故答えん!』 怒りの感情が十分伝わってくる程滲んだ声が辺りに轟き、それと同時に、剣が素早く抜かれ、その切先はリリィの腕を掴んでいる兵士に向けられていました。 『ひいっ!?』 そんな怯えの声は全く意に介さず、女性騎士は更に重く響き渡る声を出し、威嚇を続けます。 『恐れ多くも我が国最高峰に当たる賢者殿が寵愛する巫女殿に、何時まで無礼な振る舞いをしている?。 何もないのなら、さっさっと穢らわしい手を離し、とっとと離れぬかっ!!』 尚一層の凛々しい声で騎士がそう一喝すると、3人の兵士達は、リリィの腕を乱暴に離し、正に逃げ出すといった形容に相応しく走り去りました。   兵士達が逃げ出した後、リリィは思いきり腕を振りほどかれたので、その反動でよろけて地面に"ペタン"と尻餅をついてしまいます。 その拍子に、折角バロータの店で買ったパンも地面に転がってしまいました。 女性騎士は早々に剣を鞘に戻し納めて、直ぐ様リリィの側に向かおうとしましたが、それよりも前にパン屋の老店主バロータが、その老齢な姿に似つかわしくない機敏な動きを見て動きを止めます。 正直、その当時のリリィにしてみたなら、折角お使いで買ったウサギの賢者の好物でもあるクルミパンが汚れてしまっているのを見て、その悔しさに泣きそうになっていたのを、バロータが励ますように背中を撫でてくれたそうです。 『気にしないで良い、怪我がなくて何よりだった。直ぐに代わりのパンを持ってこよう』 年老いたパン屋は早々に地面に落ちたパンを拾い上げて、店に戻ろうとした時、その途中、まだ馬上にいる女性騎士とバロータとが視線が合いました。 先に女性騎士の方が目礼して、バロータも頭を下げ、"この度はありがとうございました"と、礼を述べて、店の中にパンを取る為に戻っていきます。 女騎士は老店主が店に戻った後、漸く、軽やかに馬から降りました。 リリィは、女性騎士に助けてもらった事は分かるのですが、突き飛ばされるように離されたり、大事なパンが汚れてしまったりとして、まだ頭が状況に追いつけていない状態になります。 リリィには気高く綺麗にしか見えない女性騎士は、身を屈めてわざわざ視線の高さを合わせてくれ後に、凛とした雰囲気の中にも伝わって来る優しさを含ませて語りかけてくれました。 『巫女殿、大丈夫ですか?。少し失礼しますね』 そう言いながら、女性騎士は不健康そうな兵士達に掴まれていた、リリィの腕や顔の場所を丁寧に見つめます。 『下衆共が』 綺麗な顔にある形の良い眉をひそめ、鎧の懐からハンカチを出しました。 『巫女殿、汚れを拭かせて貰いますね』 そこで初めて優しい笑みを浮かべ、少女が正しく見惚れている間に頬についていた汚れを女性騎士は優しく拭きとってくれました。 「何だか、賢者さまに前に本で読んで頂いた、女の子の恋のお話みたいでした。 あの女性の騎士様が男の人だったら、いっぺんに"恋"というものに落ちてしまいそうなくらい素敵な人だったんです。 あっ、私は賢者さまが一番なんですけれどね!」 リリィがやや早口で感慨深く女性騎士について語った後に、確りウサギの賢者の名前を出しました。 アルスは神妙に聞いていましたが、賢者の名前を口にする小さな可愛らしい同僚に、思わず笑みを浮かべてしまいます。 何かにつけて名前を出してしまうほど、リリィはウサギの賢者が好きだという事はもう知っているつもりでしたが、それに輪を掛けてアルスにも伝わってきました。 「同性……えっと同じ性別でも、惚れてしまいそうなぐらい、その女性騎士さんが素敵な人だと、リリィの話を聞いていて分かったよ」 アルスが真摯に感想を口にしたなら、少女は実に嬉しそうに微笑んで、更に話しを続けてくれます。 リリィの被害が顔の汚れ程度と分かると、女騎士はとても安心したように息を吐きだしたということでした。 『それでは失礼します』 一言そう言って、深々と礼をしあっさりとリリィの側から離れて、馬の元に戻ります。 『……あの賢者殿にも困ったものだ。いくら彼自身に力があり賢いだろうとも、この様な事態もあると考え及ばぬとは。 賢者殿が嫌がろうと、そろそろけじめをつけて頂かなくてはな』 リリィが覚えている限り、そんな事を早口ながらも活舌良く口にしたと思った時には、女騎士は颯爽と馬に跨り、腹に蹴りを入れてその場を去っていったそうでした。  女性騎士が去った後、市場の馴染みの住民に、リリィは彼女を知っている人がいないか尋ねましたが、王族護衛騎士隊という事はわかっても、その他の事は知らないという反応(リアクション)になります。 それに何より市場の生き字引の、パン屋のバロータ爺さんが知らないのだから、"王族護衛騎士隊でも余程上の方の護衛騎士だろう"、と話は落ち着きました。 そして暇があればいつも城門まで見送ってくれるバロータの弟子にあたるという人物も、生憎その日は不在で、老店主自らリリィを城門まで送ってくれました。 いつもは使わない定期便の馬車に、バロータが金を支払いリリィを乗せて、魔法屋敷の最寄りの場所にと、諸事情を話して馭者(ぎょしゃ)に更に金を多めに渡します。 どうやら、その諸事情が馬車に相乗りになった人々の耳にも入り、リリィは散々心配され、魔法屋敷の最寄りの街道に見守られながら降ろして貰ったとのことでした。 それからアルスも通って来た森の道を進んで、屋敷の入り口がリリィの視界に入ると、そこにはウサギの賢者が立って、その帰りを待っています。 『賢者さま!』 姿が見えた事だけでも嬉しくて、少女は思わず駆けだしていました。 『リリィ。すまなかった、大事なかったようで何よりだ』 少女は笑顔で顔を横に振り微笑みますが、ウサギの賢者は本当にすまなそうな表情(かお)をモフリとした中に浮かべていました。 そしてもっふりとフワフワとした毛の中にある、本当のウサギにはない肉球のついた手で、少女の手を握り、そのまま少女の後方に向かって声をかけます。 『もう帰って貰っていいよ。忙しいのに、"護衛"本当にありがとう、御苦労様』   「私が気がつかないだけで、王都の城門から魔法屋敷まで、ずーっと、護衛されていたみたいでした」 ウサギの賢者が礼を言った方向にリリィが振り返ると、そこには目深に全身を覆う様コートに、フードを被った1人の人物がいました。 目深にフードを被っていますが、固く結ばれた口元が、遠目から見るリリィからでも不思議と判ります。 フードの人物は唯一見える口元はそのまま、一礼をした後颯爽と街道へと道を引き返していきました。 『ウーム、ワシのワガママもここまでかねぇ。リリィ、お疲れ様。夜ご飯は何にしようか』 ウサギの賢者は長い耳をピピッと動かして、リリィと改めて手を繋ぎ、屋敷の中に一緒に戻りました。 丁度その日の夜、ウサギの賢者は軍のある友人から連絡があり、色々と手配して、これから買い物は1人で行ってはならないと決定し、それをリリィに告げます。 そして、賢者は今まで意地に近い状態で持たなかった、護衛騎士を持つ事も話てくれました。 時期も新兵の基本訓練を終える頃で、申請するにしてもタイミングも良い機会だと、話しをされたそうでした。 「多分それで、アルスくんがその、賢者さまの護衛騎士として、配属されて来たんだと思う。 私、"賢者さまの嫌いな軍隊が来た"ってばっかり考えていたから、感じ悪かったでしょ?。 本当に、ごめんなさい。そもそもは、私のせいなのに」 リリィから丁寧に両手を重ね合わせてから頭を下げ、お辞儀をするように謝罪をされると、アルスは慌てて、年下の同僚からの謝罪を止めました。 「謝らないで、リリィ。仕方ないよ。恩のある人、じゃないか。 恩のあるウサギの賢者殿が、"軍を好きじゃない"っていうなら、リリィが軍を好きになるはずもないよ。 自分だって、尊敬する人がそんな風に言っていたら、そう考えちゃうかもしれないもの。 配属が決まった時も、アルセン様から"打ち解ける努力もしないで、信頼を得られると思うな"って言われたから。 これから、ウサギの賢者殿やリリィに頼って貰えるように、好かれる軍人になるように頑張る。 とりあえず、リリィの"普通に"なれるように努力するよ」 アルスが笑顔を浮かべ宣言すると、巫女の少女は嬉しそうに頷きました。 「ありがとう。 でも、私は賢者さま、アルスくんの事は気に入ったと思う。 だって、優しいし、威張ってないから全く軍人ぽくないもの。」 「うーん、それは一応軍の兵士としてどうなんだろ」 アルスが苦笑いを浮かべると、リリィはまた笑いました。 それから街の流行りの店や、王宮の噂、色々と2人は話して 「じゃあ明日はパン屋にも行くから、朝ご飯に残ったパンを食べちゃいましょう」 というリリィの言葉で話は締められて、2人は台所を仲良く後にしました。
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