魔法鏡からこんばんは

2/9
8279人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
長い耳のついたウサギの頭をプルプルと横に振って、今まで前のめりだった姿勢を、判子だけ引き出しに戻し、羽ペンを握ったままドカッとウサギの賢者は背を椅子に(もた)れかかりました。 「さて終わった。確認しておくれ、"アルセン・パドリック中将殿"」 小さな鼻をヒクヒクと動かし髭も揺らし、ワザと堅苦しい言い方をしてから羽ペンを握ったままだったのに気がつき、少々行儀が悪いのを承知で机に放りなげる様に置いたなら、パチリとまた爪を鳴らします。 爪の弾ける音と同時に、賢者が先程まで何やら懸命に記入していた用紙は、鏡の中にいるアルセンの方へと移動していました。 アルセンは自分の手元に届けられた紙を白い手袋を嵌めた手に取り、緑の瞳をサッと上から下に動かし確認します。 それから仕上げる様に用紙に今度はアルセンが羽ペンで何かを書き込み、自分も書き込んでいた用紙と一緒に束ね、引き出しからウサギの賢者と同じように、判子を取り出し、同じく慣れた手付きで捺印しました。 『"着任証明"及び"日勤表、提出ありがとうございます。 "ウサギの賢者殿"が、どの部隊より1番速いですよ』 アルセンは極上の笑顔で感謝の弁を述べると、ウサギの賢者は短めなフワフワな腕を組みながら、久しぶりに真面目に仕事を熟して無事に済んだ事に、一息つきました。 「遅くに提出して、アルス君(あの子)に迷惑がかかってはイヤだからね。 軍人には不向きな感じだけれど、リリィと気が合いそうで何より。 ワシにとってはとてもありがたいし、アルス君は良い子だよ、アルセン」 アルセンは教え子が誉められたのが大層嬉しかったらしく、引き続き綺麗な笑顔を浮かべていました。 『気持ちも優しい、良い"兵士"ですよ、アルスは。 良い意味できっと、貴方の期待を裏切る素質もアルス・トラッドにはあるので、宜しくお願いします』 ウサギの賢者は長い耳を器用に途中で曲げ、円らな目は半眼になり見事に不審そうな表情をフワフワな顔の中に作りました。    「何だい。アルス君はもしかして、運良く性格が曲がらず育った、どっかの高貴な御方の落とし(たね)だったりするのかい?」  『いえ、そういうわけではありません。寧ろアルスは天涯孤独の、後ろ盾なんてない子ですよ。身元保証人も、私がしているくらいですから』 慌てたように、アルセンがアルスを擁護する言葉を出し、ウサギの賢者が曲げていた耳を片方伸ばしました。 「アルス君を一番気に入っているのは、どうやらアルセンのようだね」 不審そうな態度を(ほぐ)し、話す言葉の雰囲気も軽くして、ウサギの賢者は穏やかな声を出します。 その賢者の穏やかな声には、アルセンは綺麗な笑みを、眉毛を"ハ"の形にして困った様にも見えるものにしてしまいました。 ただ綺麗すぎる笑顔を浮かべるより、困っている様にも見える笑顔の方が愛嬌があって、整い過ぎて入いる表情(かお)よりも接し易い印象ともなっています。 そしてアルセンはあっさりと"アルス君を一番気に入っている"という事実を認めました。 『ええ。けれども残念ながら普通の軍の部隊に留めるとなると、アルスの才能は、恐らくは"飼い殺し"状態になります』 そこで一度言葉を切って、綺麗な緑色の眼を伏せました。 伏せた眼を開いた時、初見のものなら思わず見とれてしまうような憂いを帯びてはいるが、美しさを印象づける眼差しで"先輩"でもある賢者を見詰め、形の良い唇を開きます。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!