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明日の朝は… …
どうしよう、とアルスとリリィは思っていましたが、やはりウサギの賢者の圧のある言葉と態度に戸惑いを覚えていました。
台所にたどり着くまで、ウサギの賢者は一度も振り返りませんでした。
付き合いが始まってまだ数時間のアルスには、どうという事はないのですが――。
「賢者さま」
確実に付き合いは新人兵士より長く、ウサギの賢者の事を"大好き"な、リリィは圧のある態度に、随分と落ち込んでいるのが伝わってきます。
けれどもウサギの賢者は、全く構わないといった調子でバケツを勝手口の側に置きました。
「ワシは、日勤表を書いてくるね。じゃあ、リリィ、後をよろしく」
声は穏やかなものながらも、とうとう振り返らず、リリィの返事を聞く前に、2人の前から立ち去ってしまいました。
「―――リリィ、じゃあ自分に教えて貰えるかな?」
「うん」
勝ち気だった少女が落ち込む姿は、アルスに切なさを感じながら、言葉少ない説明を受けながら、アルスは一緒に食器を洗い始めます。
「賢者さま、何かね、"軍"って嫌いみたいなの」
アルスと食器を共に洗いながら、ポツリポツリと話始めてくれました。
その喋り方は、確り者の少女からかけ離れていて、幼くて、その分真実を含んでいるように、アルスには感じられます。
「うん、そうだね。軍隊が嫌いってのは、はっきり仰っていたのは自分も聞いたよ」
リリィが洗った食器を受け取り、アルスは丁寧に拭き上げながら応えました。
食器は早々に洗い終わり、小さな同僚も、布巾を手に取り、食器の拭き上げに加わります。
"何か話したい事がある。だけど、ただ話すより、何か作業をしながらの方が話をしやすい"
リリィから出される雰囲気がそう語っているのを察し、アルスは黙って自分の仕事の一部を少女に譲り、話出すのを待ちました。
「本当はね、賢者さまは、この魔法屋敷に軍の兵士を配置するのも、嫌だったんだと思うの」
リリィのこの話に、アルスは軽く笑いました。
「自分も配置される前に、色々と賢者殿の噂について伺っていた。けれど、そこまで軍隊が嫌いとは思わなかったよ」
アルスの笑いながらの言葉に、食器を拭く布巾の手をリリィは一寸だけ止めて、また動かし始めます。
「そんな噂話なんて、あったんだ」
リリィは、呟くようそんな言葉を口にしました。
「セリサンセウム国では、賢者という方は、本当に貴重な"人材"だからね。
賢者殿が望めば1個小隊の、30人位の兵士の護衛が付けられる事も出来るし、本当なら最低2人は護衛騎士つけないといけないんだ。いけない、んだけど」
ここでアルスは、今まで漂っていた深刻な雰囲気を打ち壊してしまう勢いで、下を向いて笑いだし、リリィが思わずビクリとして、アルスと距離を取りました。
「なっ、何?何なの?」
リリィが訝しげな視線を送りながら、同僚となった年上の少年とまた少し距離を開けます。
幼い同僚が距離を空けるのも無理はないと、考えつつもアルスは笑い続けていました。
「リリィ、君の恩人の賢者殿を笑っているわけではないんだけど、賢者殿が"ウサギ"って事で、納得出来る話を思い出したんだ」
"思い出したら、止まらない"
そんな様子でアルスは下を向き、笑いに肩を震わせ続けました。
「ちょっと、アルスくん?!。いったい、いきなりどうしたの?」
突然笑い出されるし、当然リリィは驚くし、気持ちは更に引いていますが、アルスは尚も笑いながらも、最後の食器をなんとか布巾で拭き上げた。
それをまだ驚いているリリィに渡し、何とか込み上げてくる笑いを押さえ込み、漸く説明を始めます。
アルスが言うには、新人兵士達の教育期間中の座学(ざがく、座って行う学習の総称)"賢者の護衛"という内容がある。
その座学の教官の鞭を取ったのが、アルスの恩人で、最も敬愛する人物。
「教官のアルセン様。アルセン・パドリックという方は、男の自分が例える言葉にしたら、変かもしれないかもけれど、とっても綺麗な人、"美人"なんだ」
朴訥なイメージなアルスが、"綺麗"という言葉を使って誉める人物に、突然の同僚の笑いに引いていた状態のリリィも、興味を持ちました。
「へぇ、そんなに綺麗で、美人の方なんですね」
緑色の瞳をパチパチとしながら、リリィは思わずアルスを見つめて尋ねます。
話も、"ウサギの賢者と美人の軍人"が、これからどうなっていくのか、俄然興味もわいた状態になります。
リリィの興味を抱いて輝く緑色の瞳を見て、アルスは今更ながら、あることに気がつき、小さな同僚を注視します。
「アルスくん、どうしたの?」
「いや、多分偶然なんだろうけれど。アルセン様とリリィは同じ瞳の色だなって、気がついて。緑色なんだね」
「あ、そうなんですね」
小さな符合に互いに驚きつつも、"美人の軍人"の話を続けます。
アルセンは"美人"事で軍部の中で確かに有名であったが、他にも彼を有名する原因は沢山ありました。
本当は王族の血も引く貴族の1人なのに、軍学校を一般と同じ形で入隊し、叩き上げで戦の功労もあり、中将にまで上り詰めた人物。
言葉も柔らかく、判り易い彼の座学は、新人兵士となる訓練生達には人気であったと語ります。
そして、ある日の座学の時間。
"ウサギの賢者と出逢ったアルスなら、理解出来る"
が
"初めて聞く新兵には《賢者》は、とんでもなく扱いがとても難しい"
という印象を与えるのに充分な、内容の講義をアルセンは口にしました。
『一般的に賢者という方々は、人付き合いが苦手な方が多いです。最初はもしかしたら、姿を隠す方もいるかもしれません。
でもそういう事は、護衛する兵士。
君達の忠誠と誠意を見せれば、時間がかかるのも覚悟して接してください。やがて先方にも通じ、こちらを信用してくれます。先ずは、こちらからが諦めない事ですね』
上品で優しい微笑みを浮かべながら、アルセンからの言葉を、訓練生達は静かに拝聴していました。
しかし次の瞬間、教官のアルセン・パドリックはとても綺麗な笑顔のままなのだが、ある種の緊張感を漲らせます。
『そう、"人見知り"ならまだいいんです。やっかいなのは』
あの時、あの穏和で美しいアルセンの眉間にくっきりと縦しわが刻まれた理由が今ならわかると、アルスはリリィに語りました。
そして美しい顔にシワを刻みながら、アルセンは座学の更に講義を続いたということです。
『いくら無骨で融通が効かない軍が大嫌いだからと言って、"とんでもない方法"で、この国の法から逃げる賢者もいるという事です。
国の大事な人材である、賢者が怪我でもしようもんなら、世論から叩かれるのは"賢者を護る事が仕事"でもある軍部であり、君逹兵士です。
軍としては貴重な人材である賢者を護りたいのに、のらりくらりと"才能の無駄使い"をして護衛の兵士をつける事から逃げるウサ―――じゃなく、賢者もいるのです!!』
「ちょっと、ちょっと待って!アルスくん」
リリィはアルセンが使った才能の無駄遣いという言葉が、笑いのツボに入ってしまって、小さな口に手を当ててその場に蹲りました。
アルスはアルスで、あの冷静なアルセンが"ウサギ"と言いかけて、急いで打ち消した場面を思い出し、改めて腹を抱え、笑ってしまっていました。
笑い過ぎて、思わず空色の瞳から溢れた出た涙を指先で拭いながら、アルスは話を続けます。
「だから、今年になってやけにあっさり賢者、"ウサギの賢者殿"が護衛の兵士を受け入れるとなって、上の人も慌てたみたいなんだよ。後、アルセン様が、少し何かやったらしいんだけど。
アルセン様とウサギの賢者殿、もしかして知り合いとかなのかなぁ。
リリィ、何か知ってる?」
互いに笑いが漸く治まったところで、元上司と現上司の関係が気になるアルスは、"現上司"に詳しそうな先輩に尋ねてみます。
「ううん、私はアルスくんの教官、アルセンさまについては何も存じ上げないわ」
リリィの年にしては丁寧過ぎる言葉に、アルスは驚きつつ、そうなんだと相槌を返しました。
ただアルスにしてみれば、あの時のアルセンの口振りだと、ウサギの賢者とはかなり親しげで、"悪友"とも窺えるような雰囲気に満ちていました。
「ウサギの賢者さまが護衛を急に受け入れたのは、いいけれど、変な注文付きだったでしょ?」
すっかり笑いがおさまった中、リリィが改まった様子でポツリと呟きます。
「うん、そうだね。それでアルセン様を除いた教官や軍の上層部の方は、何だかとっても頭を悩ませていたみたいなところもあったみたいだから」
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