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「あっ、待って……」
「待たねぇ」
すがりつくような勅使河原の声を切り捨て、明良は教室を後にした。
後に面倒な事態に発展していくのを避ける為の対処だったが、もう遅いと彼は気付いていない。
秀紀から美姫についての仕事を頼まれた事、そして今日彼が美姫と親しげ(?)に話していた事。
この二つの原因が交錯し、惰性に続いた明良の、紫苑の、美姫の生活――日常が変化するのは免れない事実だった。
「ったく、めンどぉだ」
彼が教室を出ると、待機していた四宮がビクリと身体を震わす。
「もう、終わったの?」
「……」
返答する事無く、明良は廊下を歩き始めた。
後ろでガラッと扉を開ける音が聞こえる。おそらく四宮が教室へ戻ったのだろう。
D校舎の階段を下りる。
すると、E校舎へと繋がる渡り廊下から美姫が歩いてくるのが明良の眼に入った。
向こうも気付いたのか、ゆったりとしたぺースを小走りに変え、彼に寄る。
「……今、帰り?」
秀紀からの頼みがあるものの、今日の美姫に慣れていない明良はつい躓きながら返した。
「あ、ああ」
「そう。私はお父さんの所行ってて、今戻ってきたところ」
訊いてもいない事を感情の起伏を感じ取れない声色で報告する美姫。
あまり人と話し慣れていない明良は、こういう時どんな話題を振ればいいかが全く分からない。
要するに、コミュニケーション能力が皆無なのだ。
いや、それでもそれなりに心を許している人が相手ならば話せるのだが、あまり親しくないと話題の糸口が見つからない。
…………人付き合いが悪いというよりは、過度な人見知りと言った方が正しいのかもしれない。いや正しい。
「お父さんが、あなたともっと話せって」
「へ、へぇ……」
折角美姫の方から話題を振って貰ったにも関わらず、その話題が秀紀に関する事なので、やはり微妙な態度になってしまう明良。
それに美姫に対してたじろぐだけでなく、内心秀紀に批難の言葉を浴びせていた。
なんで促進させるような事を言うのだ、と。
「……じゃあ、私点検があるから。また明日」
「お、おぅ……」
美姫が明良の通ってきた道を進む。
彼女が彼の横を通る際、美姫の無表情な顔に笑みが浮かんでいるように見えた。
「…………また明日、ねぇ」
学校でそんな事を言われたのは初めてだ。
美姫が去った事で安堵の息を洩らしながら明良はふとそう思った。
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