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余計な事態にならないかどうか危惧する明良。
彼自身重々承知している事だが、『あの事』はまだ終わりきっていない。
まさかとは思うものの、どうにも溜飲が下がらない。
遭遇する確率は限りなくゼロに近い筈なのに、また巡り会うような気がしてならないのだ。
勅使河原にあんな事を言われたせいか……と内心首を傾げる明良。
その雰囲気を察知したのか、「どうしたの?」と紫苑が彼の顔を覗き込む。
「なんでもないよ」と破顔し応える。
「ならいいんだけど」彼の言葉に安心したのか、彼女はよっと勢いを付けてベッドから立ち上がった。「じゃあ、夕飯作ってくるね!」
笑顔で部屋を後にする紫苑。
それを見届け、明良は起こしていた上半身をベッドに倒す。天井を見つめ、深く息を吐く。
「……どうしたものか」
ぽつりとこぼれた言葉の原因は、勅使河原ではなく美姫についてだ。
心なしか彼の纏う雰囲気が和らいでいる。
慣れない事態に疲れて――ではないが、今日はあまり睡眠を取っていなかった事を思い出した明良は、徐徐に脳を支配し始めたまどろみに意識をゆだねた。
――――――――
数分後、盆に乗せた二人分の夕食を二階に運ぶ紫苑。
自分が作った夕食を弟が「美味しい」と言って頬張るのを想像すると、自然と頬が緩む。
ついでに鼻唄なんかも歌い始め、軽い足取りで階段を上る。
「おとーとくん! ご飯できたよ――――って、ありゃ?」
意気揚々と部屋に入った紫苑の緩みきっていた表情が意外そうなそれへと変わった。
弟が無垢な寝顔を晒している。
それはこの家でも珍しい事で、彼女の表情が別の意味で緩んだ。
「ふふっ……かわいい」
夕飯を乗せた盆を簡易テーブルに置き、ベッドに横たわる弟の寝顔を覗く。
それを見ると、紫苑は安堵の息を吐いた。
「……よかった」
紫苑は常に、明良に罪悪感を抱いている。
自分のせいで、弟に『人殺し』なんてものをやらせている――と。
人の心情が顕になる寝顔――彼のそれが安らいでいる。
自分はまだ、彼の隣りにいていいのだと思えた。
慈しむような相好で、紫苑は明良の身体を揺すり始める。
「おとうとくん、起きて。おとーとくーん」
この寝顔を、自分にいつも見せてくれている笑顔を、いつの日か自分で守れる日がくるのだろうか。
「ん……んん……」
彼が目覚める。
努めて明るい表情を浮かべ、眼を開ける弟の意識を迎えた。
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