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フロントへ二人で向かう。
その際、チラリと春海に目を向ければ、まだ話をしていてこちらに気づいた様子はなかった。
それにホッとして、フロントまで来ると、空澄は受付に向かって口を開いた。
「十和田です。急ですが、ツインて空いてないですか?無理ならダブルでも、シングルを二部屋でもいいんですけど」
「少々お待ちくださいませ」
カチカチとマウスをいじる音を、固唾を呑んで見守った。
「空いてますよ。ツインもダブルもシングルも。どちらがよろしいですか?」
その言葉に、空澄と千尋は顔を見合わせると両手を出して、パンと合わせた。
「やったね、千尋さん。えっと、ツイ…」
「ダブルでお願いします」
「………………」
「………………」
その声は自分のものではない。
千尋のものでもない。
男の。そう、何度か聞き覚えのあるバリトン。
恐々と振り向いて、千尋と空澄は肩を震わせた。
「ダブルで。すぐ鍵をもらえますか?」
「はい。………こちらです、どうぞ。お部屋に案内しますか?」
「結構です」
男はカードキーを受け取ると、くるりと向きを変え、こちらを見やった。
「そんなにちーが泊まりたいなんて、気付かなかったよ。ごめんね?至らなくて」
満面の笑みが、千尋を固まらせる。
「空澄さんも。手間を取らせて悪かったね。春海君が待っているよ。僕らもこれで失礼させてもらう。
……さあ、行こうか。色々話もあるし、ね」
怖いくらい妖艶な笑み。
青褪めた千尋の横で、空澄の背筋がぞくりと冷えた。
「………君も、覚悟した方が良いと思うよ?」
ちらりと視線を空澄へ投げ、隆行は千尋の腰を引き寄せた。
「……あ、あの…っ、隆くん。もう少しお話ししちゃ、だ…」
「却下する。朝まで時間はあるけれど、一分一秒惜しいからね」
腰を引き寄せている手とは反対の手で千尋の手を掴むと、それを持ち上げて指先に口付けた。
「お別れして、ちー。ほら、春海君も僕らがいなくなるのを待ってる」
指先に口付けたまま、視線を空澄の後方へ流した。
それで、春海が近くにいる事を知った。
「……ごめんね、あずちゃん。こんな事になって。また会おうね」
「はい、……生きて会いましょう」
互いに憐憫の瞳を、交わす。
そして、一礼した隆行と千尋が小さくなっていくのを見送った。
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