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「あずは怒ってばっかだな」
「…………」
とにかく、無視!
関わりたくない!
過去の春よりも、今、隣を素知らぬ顔で歩く飄々したこの男に。
「怒るのって疲れない?」
「…………」
誰か、この男なんとかして。
私には手に負えない。
心底関わりたくないと無視を決め込んで歩く。
「………あず」
不意に、さっきまでと違う真摯な声音。
何?急にどうしたわけ?
今の今、無視を決め込むと決意したはずなのに、私はうっかりと春を見てしまった。
目に映した春はすごく真剣な表情で私を見てる。
立ち止まった春につられ、つい、私も足を止めてしまった。
「……髪、伸びたね」
手が伸びてきて下ろした私の髪に触れる。
髪に神経があるわけではないのに、肌に触れたように感じて、ビクッと肩を震わせてしまった。
春が転校した時、ショートボブだった私の髪は胸の下まである。
あれから揃える程度にしか切っていないから。
春が私の髪を一房掴むのをじっと見つめた。
なぜか動けない。
その髪に口付けるのを私は微動だにせず、見送った。
「………春は私を好きなの?」
あんまり愛おしそうに口付けるものだから、自然とその言葉は口を接いで出た。
「会いたかった。…あずに」
帰ってきたのは答えではない言葉。
「話したかった。……あずと」
思い詰めたような表情。
ちょっと前までしていたように、冷たくする事ははばかられた。
そんな事をしたら消えてしまいそうな程、春が儚く見えた。
「あずに触れたかった」
髪が放され、その手が今度は頬に触れる。
真意の問えない瞳がただ私を見つめている。
………本当に帰ってきたんだ。
春らしい瞳。表情。
こんな瞳、他で見たことが無い。
ぼんやりとした雰囲気そのままを表した瞳は間違いなく春の物で。
私はいつの間にか流れだした、ぽたぽたと頬を伝い落ちるそれをそのままに、春を見つめ返した。
「……お帰り、春」
今日一番の笑みが浮かんでいるのを自分でも感じる。
あーそうか、私、本当はこう言いたかったんだ。
「………ただいま」
そう言った春もぎゅっと顔をしかめていて、私と同じように涙を零していた。
はたから見たらおかしな二人かもしれない。
けれど、そんな事どうでも良かった。
ようやく私は春の前で素直になる事ができたのだから。
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