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ゆかりを見送ってしばらくしたら春が来た。 日に日に逞しくなり、日焼けに日焼けを重ねた身体。 塩素の匂いを纏った春は、昔からは想像もつかないほど、男っぽい。 春を見ると、胸の奥がちくちくする。 でもそれはほんの少しで、自分で気にしないようにすれば何でもない程度。 「あずぅ、腹へった―」 なんて、甘えた声で頭を肩に乗せてきても、動じない。 「どうせ夕飯食べて帰るんでしょ?もう少し我慢しなよ」 ぐいっと頭を押して離すと、春は拗ねたように鼻を鳴らして、こてん、と再びもたれかかってきた。 「甘えても何も出ないよ。それにっ、あーつーいっ!」 春から逃げるように身体を傾けると、バランスを崩しかけた春が私から離れた。 「倒れちゃえば良かったのに」 「ドSだな」 「春限定だよ」 「それ、あんまり嬉しくない」 「じゃあね、今日の宿題教えてくれたら優しくしてあげる」 「ふはっ、上からだなぁ。でも宿題は見てやるよ」 「やった。数学苦手だから春がいて良かったよ」 「俺の存在意義、そこ?」 「そこ」 込み上げてくる笑いを我慢して、私は至極真面目な顔をして頷いた。 「全然優しくないし。あず、顔がにやけてるし」 「うるさい。春、おかわり入れてきて」 空のグラスを渡して私はテーブルの上に広げられたノートに目を落とした。 「あず、氷は?」 「入れて」 そう言って春を見た途端、胸の奥のちくちくが復活する。 「了解」 グラスを持って立ち上がった春を見送りながら、私はそのちくちくをぐっと押さえ込む。 こんなわけわかんない心の痛みをとても不思議に思う。 誰にも感じない、春に対してだけ。 何だろうと思う反面、その正体に気付きたくない自分がいる。 だから、ぐっと我慢する。 この痛みは気のせいなんだと、誤魔化してなかった事にする。 その痛みの正体を知ってしまったら、私が私でなくなるような気がしたし、それに、春とも今と同じようにいられない気がした。 .
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