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私にとって、社会とは非常に生き辛い場所である。
人が『個』として生きることは許されないが、世界の隅々までを見渡さずともすぐ手元に『孤』ばかりは限り無く溢れている。共に歩んでいるというのに、共に生きてはいないとは全くもって首を傾げるに値し、頭を悩ますにはあまりに馬鹿馬鹿しく、思考を巡らせることをあまり好かない私は、だから社会とは非常に生き辛い場所であると呟くしかない。おそらく誰しもがこんな世に違和を感じてはいるのであろうが、どうやら私のように疑問を呈し、自ずから答のない問い掛けをして自身を苦しめんとする者は皆無に等しいらしい。
それら知らぬ存ぜぬで罷り通る者達を、しかし私は羨ましいとも無策の輩だと諌めるつもりはない。そうか、皆はそうなのかと、ただただ頷くばかりである。またその行為に然したる意味はなく、得心いったわけでも決してないのだが、体面としてはそれが良い。そもそも、そうしなければならない世の中がおかしいのだと思うのではあるが。しかしそうは言っても私とて社会を生きる身であるので、それを敢えて反故にしようとはしない。大人の対応である。対応というより、諦観である。そうしなければならないと知ったが故の、どう仕様もない胎動的な思考の行き着く先である。
それくらいには、私も社会に塗れている。『個』のない今を生きているのだから、私如き平凡な人間がそれから逸脱しているわけがない。しかし、それにしても、私は少しばかり変わった人間である。そうよく言われる。自分でも分かってはいるが、だから変わりたいと願うかと言えばそうではない。それが、私が『変人』と呼ばれたる由縁かもしれない。なので、今私が考えていることは全くのおかしな物で、私には意味があっても他には益体のないものでしかないだろう。
さて、しかし、だから逸脱しない程度に変わった私ではあるが、果たして私が女であると分かっている人は幾らほど居るだろう。女のような人称を使う、変わった男だと思っていた人が多数であろう。だから、私は『変人』なのである。重ねて言うが、『変人』である。至極常識的な価値観や認識を押し付けられても、それに応えることはできない。
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