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そう言って強いる。
「西野先生、ラブェルはシャルル・ウルモンに、<これは亡き王女のためのパブァーヌであって、王女のための死んだパブァーヌではない>と言ったいうのですが?」
と訪ねられても、
「木村誠くん、そんなことは知らなくてもいいの。楽しむのに知識は必要ないのよ」
なんとかの一つ覚えで、そう繰り返す。
ふん。
そんなことは、小生に言わせれば、まったくのナイセンス。
音楽を曲解している。
音楽は楽しむことではない。
もっと崇高なものだ。
偉大なる先達が全身全霊を傾けて築きあげた巨大な山だ。
音楽を己の位置まで下げることは、音楽を貶めることである。
己を音楽の位置までに高めることこそ、真の音楽教育なのであろうか。
ところが、そのことを理解しているものはおらず、上から強いられる教育方針も、理想からは、ほど遠い。
所詮この国では、高める音楽教育を実施することなど不可能だ。
生前の小生はそう思い、無駄なことを努力することはなかった。
授業はおざなり。
何々は何々派である。
「これを試験に出るから覚えときなさい。」
そんな授業はお茶を濁し、その代わり放課後、誰も居ない音楽室で心ゆくまで自分のピアノを弾く。
そのことにのみ没頭した。
いつしか人々は、小生のことを[楽聖]と呼ぶようになっていた。
楽聖……ふん。
今にして思えば、なんと虚しい。
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