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準備をしていると、母親がいろいろと食べ物をくれた。野菜や果物など、傷みやすいものは郵送してもらうことにした。
そして昼ご飯を食べた後、アパートのある都会へ行くバスへ乗るための停留所に向かった。
その時、停留所にあの女の人がいた。
女の人は最初に会った時と同じ服装で、傍らにはあのトランクが置いてあった。
「こんにちわ」
女の人がこちらを向いて挨拶をした。それにつられて挨拶をする。
「今日、帰るんですってね。近所のおばさんたちが話していましたよ」
笑いながらこちらに話す。……いったいどこから、と思っていると自然と母親の顔が浮かんできた。
彼女はまた、本に目を落としながら僕に尋ねてきた。
「……都会は、楽しいですか?」
……どうだろうか。
楽しいこともあれば、つらいこともある、と答えた。
「そうですか。それは良いことだと思います」
そう言ってページをめくる音がする。
蝉の音があちこちからするのに、なぜだかその音ははっきりと聞こえた。
あなたはどうなんですか? この田舎に住んでいて、楽しいですか?
僕はそう訊ねた。
僕は学校に行くため、と言っていたが、正直に言ってこの田舎から逃げたかっただけなんだと今思う。
僕は小説家になる、という夢がある。そんなの無理だ、なれっこないよと周りの人々は言っていたが、僕はそれでも絶対になる、と決めていた。
何本か小説も書いたが、それはほとんど外れてしまった。
でも僕はそれを、こんな田舎だからダメなんだ。全然刺激が足りない。都会に行けば、なにか良い刺激が得られるかもしれない、と思って都会の大学を選んで進学したのだ。
女の人は本を閉じると、
「楽しいですよ」
と、答えた。
「ここだからこそ、得られるものだってあるんですから。この田舎とか言わないでください」
だってここは、あなたの住んでいた町でしょう?
そう言った。
「あなたが住んでいた町でしょう? あなたはここで十二分に何かをもらえたんですから、そんな言い方をするのはダメですよ」
諭されてしまった。
「ずいぶんと長い間、この町にとどまったと思います」
女の人はどこか眺めながら言った。
「だって、読む本が多かったんですもの。頑張って読みました」
それに、と女の人は続ける。
「あなたに会えたことも、楽しかった」
そんなことを言ってくれた。
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