事故と恋愛と現実

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聞いた話しだと目が覚めたのは二日後だったらしい。 目が覚めた俺は全身痛くて口には呼吸器みたいなものが入っていた。 でも俺は、親父が心配だった、彼女はどんな思いをしているのかと思った。また四日後位に喉の呼吸器が外れた。 築いたら横に兄貴が泣いて座っていたが俺が目を覚ましたからか、涙を見せようとせずに、大変だったなと優しく声をかけてくれた。 親父は彼女は母さんはと聞くと、母は違う病院の親父のとこにいるよと言った、親父は大丈夫と、聞くと。 あの親父が死ぬわけねぇだろと言っていた。 よかったと一言いった。 その時親父は俺より酷かったが寝たきりで話せない状態で、だが命は大丈夫だったらしい。 彼女は○○はと聞くと。 ずっと泣いてたよと言った、今は家族しか来れないから.退院するまで待っててくれるだろ。っと言った。 何を話すのも兄貴の目からは涙が流れていた。 それから俺はまた少し安心したのもあり、俺も生きてたのが奇跡と言われたが、毎日が痛く辛く寝たきりだった自分が嫌になった。 死にたいと何度も思い、毎日泣きながら毎日をすごしていた。 辛い毎日を支えてくれたのは家族.彼女.看護婦.医者.の皆さんの励ましだった。 二ヶ月たえた結果だんだん良くなって、手は動かせるようになったが、鏡を見た事はなかった。 見てみるかいと言われて、見て見たら、顔の顎や頬が火傷の後が酷く残っていた。 命があるだけとプラスにやっと考えられる用になった俺だったが、正直、辛いのは変わらず、まだ涙は止まらなく、傷もまだまだ治ってはいなかったし、寝たきりの状態だった。 毎回兄貴や母がくるだび親父は大丈夫だよと教えてくれたし、彼女待ってるよ、と言ってくれたからがんばれた。 事故は8月. それから三ヶ月たってやっと立てる用になったが3秒も痛くて立ってられず、めまいもしたりしていた。 でも、なんと親父の病院と同じ病院に行ける事になった。 タンカーで病院について親父を見たいと思ったが、まだ怪我の菌が移る心配もあり叶わなかった。 そんな時たまたま兄貴が俺の携帯を持ってきていたので、彼女にメールをすると.... ごめん あたし最低だよ。 ごめん 別れよう っとメールがきた。 のちに友達から聞いたら違う男の事を好きになっていたらしい。 俺は悲しかったが、またいい人が現れる事がくると信じ凹みはしなかった。
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