順序なき順番

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一ノ瀬さんは、ガクリとうなだれ、顔を伏せた。 そのガッチリとした体つきからは、さっきまであった溢れんばかりの覇気や、自信に裏打ちされた、上に立つ者としての雰囲気が、完全になくなっていた。 「……依頼しよう。君に、虚木透理探偵事務所にこの事件の解決と、犯人の……『クドウキイチ』なる者の確保を依頼する」 一ノ瀬さんは吐き捨てるように言った。 その声からは覇気も自信も、余裕すらも消え失せていた。 私は、この男の、一ノ瀬雄三という男の脆さを垣間見たような気がした。たった一つ、たった一人の名前が出ただけで、ここまで脆くなる心の脆弱性。この男の強さは、自信は、自身が成功者であるということと、それを維持していることのみを支えに成り立っているものだったのだろう。 「後者はお約束出来ませんが、前者ならばお任せください」 虚木さんは僅かに口角を吊り上げ、深々と、大袈裟な礼をもって返す。その姿は、紳士的であると同時に、どことなく悪魔的でもあった。 そして、指をぱちんと鳴らして弥生さんを呼ぶと同時に静かな声色で言った。 「それでは、契約と参りましょう」 弥生さんが銀のボードに契約書と深い黒の万年筆、朱肉を乗せて静かに虚木さんに歩み寄る。 そのまま弥生さんはテーブルに、一ノ瀬さんに見やすいように契約書を置き、万年筆をその目の前に置く。 顔を上げた一ノ瀬さんの目からは、生気というものがすっぽりと抜け落ちていた。それでもペンを握り、契約内容に目を通すのは経営者の本能と言うべきだろうか。 「契約内容は真実の究明、及び可能ならば犯人の確保。契約金は前金として十万。成功報酬は貴方の生死に関わらず三百万頂きます。なお、経費は成功報酬に含みません。宜しいですか?」 「待て。何故私の生死を考慮しないのだ。私が死んでは、元も子もないではないか」 一ノ瀬さんは激昂した。当然だ。頼った相手に、貴方の命はどうでもいいと言われたようなものなのだから。 激昂する一ノ瀬さんを虚木さんは片手で制し、落ち着いたのを見計らって、ゆっくりとその口を開く。 「一ノ瀬さん、私は探偵です。ボディーガードや警察ではないのです。犬猫探しや浮気調査、ついでに謎を解くのが仕事であって、貴方の身を守るのは仕事ではないのです」
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