玉子焼き

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病舎の背後、 暗い緑の上に霜に焦げた天鵞絨の様な肩を丸々と出しているのはおおかた麻耶の山だろう。 冬将軍の到来と共に再入院した父に春の訪れは遠い。 病室の窓から見える寒さで枯れたトゲトゲしい櫨(はじ)の梢が目に痛く空を刺している。 麻耶の山の山陰で消え残っている雪はまだまだ辺りで青く煙っていた。 父の病状は悪化の一途を辿り、もうミキサー食すら受け付けなくなっていた。 父は桜を見ることが出来るだろうか? そんな想いが胸に去来する中、父が思いもよらない事を言い出したのだ。 「玉子焼きが・・・食べたい・・・」 明け方、思い出したようにそう言った父の目には明らかに正気の光が宿っていたように私には思えた
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