最高の女

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矢城が死んだと聞かされたのは、 俺の初めての『出逢い』が決まった少し後の事だった。 季節は秋。 様相は冬に近く、街ではもうコート姿の方が多くなっていた。 出逢いの日は今月の後半の平日と決まっていた。 師走前のほうが確かに仕事を考えると都合がいい。 それを来週に控えた、 肌寒い11月のある日、 矢城はまだ沢山の可能性と、途端に灰色に染まってしまった思い出を残して、 自ら命を絶った。 連絡してきたのは、矢城の母親だった。 部活動で共に汗を流していた時期、面識はあった。 小柄で少しふくよかで、 世話好きな明るい人だった。 一人息子とその周囲に、田舎の明るいお袋のような愛情を 惜しみなく注いでいるように見えた。 よく笑い、同じだけ涙もろく、 名物母ちゃんとして 部員には好かれていたものだ。 矢城は照れて恰好つけて、 「参っちゃいますよ」と 試合の応援席で声を張る母親に 肩を竦めて見せたりした。 電話の声は、変わらず優しさが滲んでいたが、 それを上回る悲しみが凌駕して、彼女から覇気と若さを根こそぎ奪い去ってしまったのが、 受話器越しに伝わってきた。 見つけたのは他ならぬ母親だったという事実が、 哀れみを催さずにはいられず、 思わず昔の呼び方が口をついた。 「おばちゃん…あの、何て言ったらいいか…」 ついに堪えきれずに、 おばちゃんの喉から悲しみに潰されたような嗚咽が 絞り出された。 「あの子の様子がおかしいって、何ヶ月も前から気づいて、塞いでるから軽く訊いても、 何でもないって言うし、もう大人だから、あまりしつこく訊いてもね… いろいろあるだろうと、そう思って…。あ、あの子も、もう、大人になったんだもの、いろいろ…いろいろね…」 泣き声が混じって、俺の中の悲しみが ようやく表面に浮かび上がってきた。 本当はあれこれ尋ねたいことがあっても、半分投げ遣りな気持ちにすらなる。 あいつはもう死んじまった。 悩んでた内容も、あいつが何を考えて決意したのかも、今からじゃ 知ったところで何が出来るわけでもない。 死に方が死に方だけに、葬儀は身内だけで密に済ますと言う。 渡したいものがあるから、郵送して構わないかと問われ、 俺は直ぐ様承知した。 今は言葉が続かないと言う、窶れただろう母親に心から礼と御悔やみを言って、俺は静かに受話器を置いた。 暫くは呆けたように動けなかった。
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