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醜悪な生き物、恐ろしい怪物が、日だまりのなかでのんびりと昼寝している不思議さ。
子供の頃、動物園で、はじめてカバをみたわたしは、このような衝撃をうけて、しばらく目が離せませんでした。
やがて、幼いわたしにとって、姿、形をあらわすものだった醜悪という言葉が、だんだんとその意味を複雑にして、人の様々な内面や行いに、むけられるようになっていったのはいつ頃のことだったでしょう。
それは、ひととおり、親や大人や社会に向けられた後、醜悪さをさらけだしながら、くつろいでいる無神経な化け物が、本当は、自分であるというところに、無事戻ってきた訳ですが。
見えるものを見過ごしながら、見えないものに安穏としている。見えるものが真実であると同時に、見えないものがあることも、また真実であり、見えるものも見えないものもわたしたちの想像力をかきたてるけれど、見えることや、見えないことに、期待しすぎてもいけない。
わたしは今でも、カバを美しいとは思わないけれど、カバが心からくつろいで眠る動物であると感じています。それは、、もちろん動物園のカバに敵がいないからこそのことなのです。わたしたちが敵なら、当然、カバは違う顔を見せることでしょう。
リチャード・フォード作、「銀の森の少年」は森の動物に育てられた少年の物語です。秀逸なるファンタジーだと感じ入りつつ、今、わたしは作品を読んでいるところです。醜悪の意味がまたひとつ複雑になったと思いながら。
作 夏休み
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