幼なじみと気付きと

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小学校一年から小学校三年の途中までの私は 横浜市中区ある小学校に通っていた 小学校一年の時はクラスメートに私のようなハーフの子が何人かいたから気が楽だった 何故?気が楽かって言うと 人の容赦ない言葉をみんなで分ける事が出来たから 私は小学校一年で人の心の闇に気付いたんだ 敗戦国の日本の 日本人の心の闇に これが第一の気付き そして私だけじゃなくハーフに生まれたクラスメートたちみんなが気付いた きっと他国に生まれたとしても私たちは敗戦国の人間として馬鹿にされるんだろうね って話したよ 一年坊主たちが きっと私たちハーフは人より心の成長が早かったんだろうね 少しずつ日本人は敗戦国ってレッテルを剥がす努力をしていたのだろうけど 私たちハーフに対して心無い言葉や悪意ある言葉を言う事で自分勝手な満足を得ていたんだと思う 今でこそハーフ(二分の一)って言葉あるけど 昔は合いの子だからね 合いの子って何だろうって思っていたよ 当時は 混ざった子 混血 合いの子 私 スゴく悔しかったからいつも言い返してたんだ 「私たちは愛の子!混血や合いの子じゃなく 愛がいっぱいの子だよ」って だからその時のハーフのクラスメートたちはみんな自分の事を愛の子とかlovechildとか言ってた 愛の意味知らない一年坊主たちなのに(笑) 私は父親に 「お前はいっぱいの愛の中で生まれた子だよ」って 言って貰ったから愛の子って言い始めたんだ
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