ガーベラの街

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そんなことを思い出していると、彼の家のドアが少し開いていることに気づいた。 恐る恐る入ってみると、彼はいなかった。 あるのは、何もない空間だけだった。 あの大きめの机は無い、鍋も無い、鍋つかみも無い、鍬も、もやしも、そこには無かった。 あるのは、ただ何も無い空間… しかし、その中、一通の手紙が部屋のド真ん中に無造作に置かれていた。 私は封を開け、手紙を読んだ。 拝啓 愛する貴女へ あなた様は手紙の書き方もお分かりになられないのですか。 まずは誰に宛てた手紙か、それを書かねばなりませんよ。知っていましたか。 知ってるよ、という声がどこからか聞こえた気が致します。 あなた様と初めて会った日のことを覚えておいでですか。 あなた様は、優しく聞いて下さる様子でございました。でも僕は言えなかった。 なんでもありません そう言って、あなたを騙しました。お許し下さい。 あなた様に手紙を貰い、一緒に逃げ出してくれと書かれていた時、僕は嬉しかった。 でも、それは叶いません。 僕はあなた様に会ったあの日、重い病に苦しめられ、苦痛のあまりあなた様に助けを求めたのですから。 ですが、不思議なことに、あなたの側にいると、すっと、苦しかった痛みが消えたのです。 でもきっと、1年後、僕の姿は無いでしょう。でも安心して下さい、この家とこの手紙だけは残すよう取り計らいました。 あなた様が一目見て、ここが僕の家と分かるように。 最後に、僕はずっと嘘をついていた。 僕は本当はあなた様●愛して●た●●す●。 すみません、滲み過ぎて読めませんよね。ですが僕には繰り返しお伝えしてもきっと変わらないと分かっています。 あなた様に思いを伝えようとすると、何故か手紙が滲んで行きます。 ごめんなさい、こんな僕で。 ごめんなさい、これが最初で最後の手紙で。 ごめんなさい ごめんなさい 最後に、手紙の初めに拝啓と書いたならば、こう書かねばなりませんよ。知っていましたか。 もう、知ってるよ、という声は聞こえません。 僕を愛してくれてありがとうございました。 敬具 そこで手紙は終わっていた。 滲んでいる手紙がさらに滲んで行く。 家の中にいるのに、何故、消えていく、彼の生きた証、彼の最後の言葉、何故私は黙って消えさせる、何故消えゆく彼を、黙って見過ごす…
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