第弐話【邂逅】

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 だが、その手首を男が掴んだ。 「待て、開国派の手先じゃないっちゅう証拠をまだ見せてもろうちょらん」 「だから、カイコクハって何ですか。私はそんなのは知りません!」  睨み合う二人の間へ、まあまあと藤が入る。何故か藤に諌められると気持ちがスッと落ち着くような気がした。 「神隠しにあったのだから、本当に時勢を知らないのかも知れないじゃないか。……桜花、今の世は物騒なんだ。目立つ格好は命取りになる。着物を貸してあげるから、せめてそれを着なさい」  口々に洋服を否定され、桜花の頭は混乱する。この二人が浮世離れしているのか、本当に自分がおかしいのか分からなくなってきたのだ。 「……藤婆がそう言うなら。それに今日もこれから吹雪きそうじゃ。山を降りるには適さん」 「吹雪って……。あんなに晴れていたのに?」  桜花はそう言いながら立ち上がると、障子を開ける。すると、空は灰色の雲に覆われており、既に大粒の雪がちらちらと舞っていた。  言うた通りじゃ、と男は得意げになる。 「今夜も泊まっておいきよ。無理はしない方がいい」  目尻の皺を深くしながら、藤は優しげな表情で語りかけた。桜花は元の席に座ると、少しの間の後に小さく頷く。 「そういやあ、桜花は武術の心得があるんか?女子じゃ思うて油断しちょった僕が悪いんじゃが、男の足を掛けて飛ばすなんて、大したものじゃ……。手にも剣だこがあるのう」  そのように指摘され、桜花は手のひらを隠すように握った。前世の記憶を呪っておきながら、竹刀を握ることだけは止められなかった。手の皮は厚くなり、若い女の手とは思えないほどに固い。 「その……。そうです。可笑しいですよね」  桜花は困ったように微笑んだ。男は目をぱちくりとさせると首を傾げる。 「可笑しゅうは無い。ただ珍しいだけじゃ。じゃが、女子でも剣術を習うものは居ると聞く。この物騒な世の中じゃ、ええと思うがのう。流派は何じゃ?僕ァ、柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)を修めちょるよ」 「流派……?それは分かりませんが……。貴方も剣道をされるのですね」 「僕ァ、これでも武士じゃ。といっても、脱藩したけぇ今はただの浪人じゃが」  男の発言に桜花は耳を疑った。 ──この人、武士って言った?一体何を言っているのだろう。やっぱり変な人なんだ。 「そ、そうなんですね」 「やはりそうだったのかい。(まげ)まで落としてしまっているから、出家でもしたのかと思ったよ」  そこへ、呆れたような声色で藤が話に入ってくる。男の頭には髷が無かった。所謂、散切り頭というものである。 「ああ。これでも伸びてきた方じゃけえ」  男は短髪頭を叩くとからからと笑った。 「のう、桜花。僕が君の腕を見てやろうか?藤婆、竹刀はあるか」 「はいはい。待っとくれ」  桜花の返事を待たずに男はさっさと話を進めてしまう。袖捲りをして立ち上がる男を、桜花は呆れたように見詰めた。 「あの……、せっかちって言われませんか?」 「んん、よう言われる。気になったモンは目で見るまで諦めない性分じゃけえ。今ならまだ吹雪いちょらんしのう」  悪びれる様子も無く、むしろ清々しいまでの笑顔だった。藤は桜花に手招きをすると、着物と袴を身に付けさせる。流石に寝巻きで試合は良くないという理由だった。
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