第参話【岐路】

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 その時である。外からは皿の割れる鋭い音がした。人々のざわめきや悲鳴が聞こえ、途端に切迫した雰囲気が伝わる。  高杉は射るような眼差しを外へ向けると、刀を手に立ち上がった。そして暖簾の間から外を伺う。桜花も慌てて立ち上がると、その後ろから様子を見た。  すると、怪しい風体の浪士たちが複数人おり、刀を持たぬ町人へ絡んでいる。 「取るに足らない小物じゃ。奉行所(ぶぎょうしょ)か、新撰組が来るじゃろう」  このようなものは日常茶飯事だと言わんばかりに、高杉は冷静だった。興味を失ったかのように、椅子へ戻る。それとは反対に、桜花は心拍数を上げながら外を食い入るように見つめていた。 「高杉さん、ここの茶屋の店の人があそこに……」  桜花の視線の先には、茶屋の娘が竹箒を片手に浪士へ向かっていく様子があった。 「放っちょけ、流石に女子(おなご)へ手は出さんじゃろう。それより、巻き込まれる前に去るぞ」  高杉はそう言い、茶を飲み干すと立ち上がる。左腰に差した刀の柄に左手を乗せ、桜花を右手で軽く押しのけると、再び暖簾を潜った。  すると、浪士の一人が茶屋の娘の細い手首を掴み、竹箒を取り上げている光景が目の端に映る。高杉は深い溜め息を吐くと、苦々しげに舌打ちをした。 「……壬生浪は何をしとるんじゃ。こねえな時は足が遅いんか」 「みぶろ、って?」 「新撰組のことじゃ。壬生という地の浪士じゃけえ、壬生浪じゃ。あねえ(あのような)(やから)を取り締まるんが、役目じゃと聞いちょるが」  警察のようなものかと桜花は頷く。高杉は頭をガリガリと搔くと、肩を回した。 「……仕方ないのう、茶のお代わりも(もろ)うてしもうたし……。一肌脱いちゃるか」  下手に騒いで目立ちたくないというのが本音だったが、かと言って若い娘が絡まれているのを見過ごすのも忍びない。ここで待っていろ、と言うと飛び出そうとした。  しかし、その腕を桜花が掴む。高杉は驚いたように振り向いた。 「ま……、待って!」 「桜花、離すんじゃ」  高杉の鋭い口調に恐ろしさを感じながらも桜花は首を振った。 「高杉さん、目立ったらダメなんですよね。見廻組とか新撰組とかに捕まったら、死んでしまうかも知れないんですよね」  焦りを含み、一息に放たれた言葉を聞いて更に高杉の眉間には皺が寄る。 「僕にあの娘を放っておけと言うんか。武士たるもの、女子供を救うのが当たり前じゃ。それに、助けて欲しそうにしちょったのは君じゃろうて」  その指摘に桜花は俯いた。本能的な恐怖なのだろうか、高杉の腕を掴む手が震える。自分でも矛盾した行動を取っている自覚があった。  高杉を行かせたくない、けれども茶屋の娘は助けたい、怖いという感情が渦巻く。ただの擬態とはいえ、同じように武士の格好をしているのにも関わらず、俯くことしか出来ない自分が嫌で仕方が無かった。 「僕は捕まるなんて間抜けな真似はせんけえ、ここで待っちょれ」  高杉は桜花の手を振りほどくと、今度こそ外へ出ていく。桜花は足が竦んでしまい、その背を追い掛けることは出来なかった。  
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