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「ん……」
重い瞼を上げると、視界はぼんやりとしており焦点が定まらない。何度か瞬きをすると、徐々に焦点が合い目の前のものを認識するようになった。
そこには見知らぬ木目の天井が広がっている。部屋の中は暗く、行灯の火が心許なく揺れていた。魚が焦げたような匂いが部屋に充満している。
「あの、誰か……」
桜花は自身に掛けられた布団を掴み、横へずらした。何とか身体を起こそうとするも、途端に身体中へ激痛が走り、呻き声が漏れる。まるで長い間寝ていたかのように、関節が軋んだ。
ひんやりとした床板に手を伸ばし、這いつくばるように壁へ向かって進む。そして、壁に掴まりながら何とか立ち上がると、障子に手を伸ばした。
立て付けの悪いそれを開けると、冷気が桜花を包む。外は真っ暗だったが、地面に白いものが積もっているのが分かった。
縁側に出ると、裸足のまま外へ降りる。すると足の裏から伝わる冷たさに、意識はすっかり覚醒した。
「冷た……ッ!何これ、雪……?」
ぶるりと身体を震わせつつも、自身の置かれた状況が全く把握出来ずに頭の中は混乱している。
「何で、雪なんて……。夏に雪なんて有り得ないのに」
動揺する桜花を笑うかのように、目の前にふわりとした雪が舞い降りてくる。
その時、背後に人の気配を感じて振り向いた。
「おや……、気が付いたのかい。……良かった、本当に」
そこに居たのは齢にして、六十から七十ほどの着物姿の老婆である。年寄りが相手だったからという訳ではないが、その慈しむような声音は桜花の警戒心を薄めさせた。
「風邪を引いてはいけないから、中へお入りなさい」
何故か逆らえない気がして、桜花は小さく頷くと老婆の後に続いて中へ入る。
寝ていた部屋の隣には居間があり、囲炉裏の炭が爆ぜる音が部屋に響いていた。
老婆と向き合うように座ったは良いものの、そわそわと落ち着かない気持ちになる。やがて、意を決したように顔を上げた。だが、それよりも先に老婆が口を開く。
「お前さんは何処から来たんだい?変わった身なりをしていたが……」
湯気の立つ茶を啜りながら、何かを見定めるような視線を桜花へ向けた。
「えっと、その、京都……から来ました。お祓いで有名だというお寺に行こうと思いまして……」
「ふむ。だが女子が雪道を一人で登るのは感心しないね。獣や人攫いにあったらどうするつもりだったんだい?」
「雪道……。いえ、私が行った時は夏だったんです。雪なんて降っていませんでした。といっても今は降っているのですが……、でもッ!」
やや混乱したように話す桜花の言葉に老婆は小首を傾げる。言った桜花自身も訳が分かっていなかった。
外は寒い上に雪が降っているのに、夏だと主張しても説得力が無いというのは分かる。だが、それでも確かに夏だったのだ。
「混乱しているのだね、可哀想に」
「そうじゃなくて……」
何と言えば伝わるのだろうと歯噛みをしながら、桜花は視線を揺らした。頭の整理が出来るまで話を逸らそうと思ったその時、助けられた礼を言っていないことに気付く。
「……あの、助けて下さったんですよね。有難うございました。私は鈴木桜花と申します。"桜の花"と書いて"おうか"です」
深々と頭を下げる姿を見ながら、老婆は優しげに目を細めた。
「桜花……。良い名だ。死んだ息子にも、桜の字が入っていたのさ。私は藤という。藤婆と呼んでおくれ」
藤はそう言うと、飾られた太刀を見やる。その横顔は悲しげであり、桜花は胸が痛むのを感じた。
「さあ、もう夜も更けていることだ。休むことにしよう。ああ、そう言えばこの家にはもう一人、客が居るんだ。明日紹介するよ」
藤は立ち上がると、手持ちの行灯へ炭の火を移す。
色々聞きたいことがあったが、また明日にしようと桜花も布団へ戻った。
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