第弐話【邂逅】

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 部屋の中から外を見ていると、着流し姿の男が戻ってきた。手には半纏(はんてん)があり、それを桜花へ投げる。 「そねえ(そのよう)な格好で彷徨(うろつ)くと、風邪引くけえ。……で、君は何者なんじゃ」  怒ったり心配したり忙しい男だと思いつつ、桜花はそれを肩に掛けた。二人は向かい合うようにして座る。男は腕を組みながら見定めるような視線を桜花へ向ける。  その威圧感に桜花は居た堪れない気持ちで肩を竦めた。 「その、鈴木桜花と言います。京都に住んでいて、お祓いの為にこの山に来たのですが……」  言葉を紡ぎながら、桜花は此処に来るまでの記憶を遡る。  そこへスッと襖が開き、隣の部屋から藤が現れた。 「おや。二人とも早いじゃないか。その話し、私も聞かせて貰おうか。今朝は冷える、茶を淹れようかね」  藤の促しにより、二人は囲炉裏の前に座る。湯気の立つ湯呑みがそれぞれの前に置かれた。男の促しにより、先程の話しの続きになる。 「……季節は夏だったのです。山を登っていると鳥居があって。それを潜った途端に霧が出て来たような気がします……。それで、お坊さんに話し掛けられて……。そうだ、崖があって……」  話すうちに桜花は口ごもった。あの時崖から落ちた筈なのに、何故怪我一つせずにこうして生きているのかと疑問に思う。 「崖かい?山だから何処かにはあるだろうが、桜花が倒れていた場所には無かった筈だよ」  藤の言葉に、そんなと桜花は声を漏らした。確かに足を滑らせたのだ。今でもあのヒヤリとした感覚は覚えている。  それらを聞いていた男は冗談だと笑うこともなく、真面目な表情になった。 「それって、神隠しか……はたまた天狗攫い(てんぐさらい)じゃないか?」 「神隠し……天狗攫い?」  古来から、子どもが忽然と姿を消すことがある。それは神隠しだったり、天狗に攫われたと言われている。非科学的だが、伝説のように信じられていた。 「それはあるやも知れないね」 「……そんな。そんな事って……」  桜花は苦笑いを浮かべるが、男は神妙な顔付きを崩さない。 「天狗小僧って聞いたこたぁないか?平田篤胤(ひらたあつたね)という国学者が本を出しちょったんじゃが」 「私は知っているよ。江戸に住んでいたからね。天狗に攫われた寅吉、だろう?」  男と藤は心当たりがあるようだが、桜花にはさっぱり何のことだか分からなかった。だが、二人が示し合わせて冗談を言っているようにも見えない。  神隠しなんて、ただの作り話かと思っていたのにと顔を引き攣らせた。 「じゃあ、ここは京都では無いのですか?」 「いや、京の外れの山だよ。降りれば市井(しせい)さ」  市井、つまり市街地を指す。山を降りれば家に帰れると桜花は安堵の息を吐いた。 「よ、良かったぁ……。それなら、私帰ります。学校もあるし、バイトだって……」 「学校?藩校のことか?女子(おなご)は通えんじゃろうて。ばいと、とは何じゃ?」  訝しげに男は桜花を見る。女だから通えないというのはいつの時代の考え方だと心の中で思いつつ、桜花は閉口した。また激昂されたらたまったもんじゃないと思ったのだ。 「とにかく、帰らなきゃ……。助けて頂き、有難うございました。また御礼に伺います。……あの、私の元々着ていた服はどちらに……」  腰を浮かせながらそう問い掛けると、藤は近くにあった風呂敷を差し出す。桜花はそれを手に取った。
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