第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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 一行が最初に行軍を止めたのは、甲州街道でも最初の宿場である内藤新宿(ないとうしんじゅく)である。  起点の日本橋からは二里(約八キロ)程度しか無かった。日が高くなる前に屯所を出たというのに、近藤の指示で早々に歩みを止めることとなる。  そして華々しい出陣の景気付けだと言わんばかりに、大宴会を開いた。  無論それを進言したのは桜司郎である。皆気を張っているため宴など開いては如何か……と言えば、疑うことなく採用されたのだ。  まさか忠義に厚い彼が(はかりごと)をしているとは、ゆめゆめ思わなかったのだろうか。  永倉や山口といった慎重派からは諌める言葉も出たらしいが、強ばる表情を和らげて喜ぶ隊士を見てしまえば、閉口せざるを得なかったのだという。  やがて宴会は芸妓まで呼び、京の島原を彷彿とさせる規模のそれになった。ある程度のところで抜け出した桜司郎は、酒に火照った頬を冷まそうと廊下へ出る。 ──まずは上手く行ったな。けれど、こんなにあっさりと通るとは……。  拍子抜けだった。土方と言い争った経緯があるため、疑われても可笑しくはない立場にあるというのに。 「まさか…………」  己の他にも同じようなことを考えている者が居るのだろうか。  柱に手を添え、ぼんやりと月を眺めながら考えていると、ギシリと床板がか細く鳴った。  そちらへと目をやれば、闇に紛れるように沖田が立っている。桜司郎を探しに来たのだろうか。 「桜司郎さん」  名を呼ばれると、幾許か空気が和らいだ気がした。謀をすると決めた時から息が吸いづらかったはずなのに、それが途端に薄れていく。 「沖田先生……。夜風は身体に障りますよ。お部屋へ行きましょう」  行軍に合わせたのか、沖田は袴を付けていた。寝間着の印象ばかりが濃くなり、それが新鮮に見えてならない。まるで京に戻ったような錯覚すら覚えた。  そっと背へ手を当てながら、宛てがわれた部屋へと入る。
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