第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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 その後直ぐに永倉は、旧知に見付かって宴会へと連れ戻されて行った。助けを求めるような目でこちらを見ていたが、敢えて気付かぬ振りをする。  本陣を少し離れ、畦道を歩いていると遠くから桜司郎を呼ぶ声が聞こえた。 「桜司郎ーーッ!」  山野である。  その登場に驚いた桜司郎は、駆け足で戻った。 「八十八君……!戻ったのね」 「ああ。甲府城周囲から此処までの大体の地理は、頭に叩き込んで来たぜ」  そう話す山野の整った顔や手足は泥に塗れ、草鞋は擦り切れてしまっている。全力を尽くしたであろうことは聞くまでも無かった。 「峠なんかは雪がまだ残っていてな、道が悪すぎる。徒歩が精一杯……ってところだ。駕籠は通れない。……違う、それよりもだ。桜司郎の読みが当たっていたよ」  山野は軽く辺りを見渡してから、言葉を続ける。 「甲府城の奴ら……俺たちを城へ入れる気は無ェ。安全を保障されていた天領ってところもあって、そもそも兵力も配置されていない。だから余計に戦をここでしてくれるなって感じだぜ」  甲府城に兵力が無いのは元々知っていたことだ。だからこそ新撰組をそこへ厄介払い出来る口実になったのだから。それにしても、城へ入れる気すら無いというのは、近藤らが聞いたら寝耳に水だろう。 「……まるで、」  ぽつりと桜司郎が呟けば、山野も同じことを思ったのか眉を顰めた。 「ああ、と同じだ……。やっぱり城へ入らない方が正解だよ。見てろ、きっと甲府城の奴ら……抵抗も無しにさっさと薩長へ開城するぜ」  何となく予見していたこととは言え、改めて現実を突き付けられると、どうしても気分が沈んでしまう。 「何故……。幕府とはこうも脆いものだったのか」 「……神君家康公のお御世とは訳が違うってことさ。何十年、何百年と経てば人も世代も変わって、受けた恩も次第に当たり前となって忘れられていくんだ」  大名なんて良い例だと山野は言った。恩恵を享受することが当たり前となり、やがて主君よりも保身へと走るのだ。それに対して新撰組なんかは恩を受けたばかりだから、より忠義を尽くそうとするのだと。  それはあまりにも的確だった。同時に、己ごときが抗ったところで、この流れは止められないと悟らされる。 「……恥を。恥を知ればいい……!」 「守りたいものが違うんだ。将軍よりも、もっと身近なものが大切なんじゃないか。……俺たちもそうだろう?将軍よりも、幕府よりも、が大事なんだよ」  その言葉に桜司郎はハッとして顔を上げた。当初こそ幕府の為に戦っていたが、大坂からの将軍の退却や謹慎を聞いて、心の底では失望していたのだ。そして此度の目論見を知ってからは、新撰組さえ助かれば良いと考えていた自分がいる。 「だから、誰も責められやしない。今は、何とか皆で生き残ることを考えよう」  山野がそう言い切った時、傍にあった大樹からガサリと音がした。
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