第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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「──その話し、詳しく聞かせて貰おうか」  何者かが裏から姿を現す。天すらも味方に付けたと言わんばかりに、雲間からは月が覗き、その顔貌が明らかとなった。山野と桜司郎はそれを見て目を見開く。 「ふく、ふッ、副長……ッ!何故此処へ……」 「鬼を見たような顔をするな。俺の小姓は優秀でな……。山野を見掛けたが、俺よりも榊を探していると聞いて臭うなと思ったんだ……。一体何を企んでいる?」  土方の双眸は桜司郎を鋭く射抜いた。だがその視線には不思議と怒りは感じられない。 「士道不覚悟で腹を詰めたくなければ、洗いざらい話すんだな」  そう促されると、もう逃れられないのだと悟った。 ──折角ここまで良い流れだったのに。万事休すか……。  せめて(山野)は巻き込むまいと、全て己が画策したのだということを前提に、これまでのことを白状した。 「──つまり、近藤さんと俺を嵌めようとした訳か。その上、幕命をも欺いて」 「…………そうです、──ッ!」  そう肯定の言葉を口にした瞬間、桜司郎の身体は背後の樹へと叩き付けられていた。背を強かに打ち、目の前がチカチカと白く光る。そして遅れて頬にジンジンとした痛みが走った。 「桜司郎!」  殴られたのだと脳が理解すると同時に、山野が駆け寄って来る。起こそうと伸ばして来た腕を制すると、自らの力で立ち上がった。口の中が切れたのか、じわりと鉄の味が広がる。  生理的な涙が浮かび、視界がぼんやりと霞むが、負けじと土方を睨み付けた。 「……まだ分からないのですか。城へ入れなければ、その時点で隊士は幕府に切られたことを知ることになる。さすれば、士気が下がるどころか局長への不満に繋がりかねないッ!数多の脱走を出し、今後の戦線を維持することすらままならなくなります!」  獣の咆哮のような叫びだった。どうして分かってくれないのかと、悔しくて仕方がない。 「そうすれば、世間からは幕府に見捨てられた隊という謗りを受けることになるでしょう。それでも──!」  そこまで言って、桜司郎はハッとしたように言葉を飲み込んだ。月を背後にした土方の表情が、あまりにも切なく見えたからである。
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