第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

8/20
前へ
/974ページ
次へ
「…………分かっている。分かってんだ、そんなことくらい」  呟くような声は、何故か泣いているようにも聞こえた。近藤が思い詰めているように、土方もまた同様なのかもしれない。あまりにも重いものを背負わされているうちに、拭い切れない澱みが彼を飲み込み、そこから抜け出す術を忘れてしまったのだろう。 「話しを聞いた時から胡散臭ェと思った。厄介払いをされていると分かっちゃいるが、そこを覆せば俺たちの存在を示せる筈だ。筈だった。……だが、俺はいつの間にか、諦めていたのかも知れねえ」 ──そう、諦めるしかないと思っていた。近藤さんが総司に(かこ)つけて死に場所を探しているのも、それが武士としての矜恃を守るためなのだと言い聞かせていた。 「副長…………」  フッと優しい笑みを浮かべると、そっと手を伸ばしてきた。ひやりと冷たい手が、張られた頬へと添えられる。 「……俺の負けだ。随分と小狡い策のようだが、乗ろう。…………殴ったのは、上役に黙って謀をしたことへの罰だ。悪かったな……」  まるで見えない何かから抜け出せたような、そんな清々しい笑みを浮かべていた。 「ったく……にしても、総司まで巻き込みやがって」 「え……?」  その発言に小首を傾げた。負担はかけまいと、沖田に策を話したことは一度もない。山野へ話した時さえも、沖田は屯所ではなく診療所に居たはずだ。故に知る由もない。  彼にまで嫌疑が掛けられてしまうのは不本意だと慌てた。 「誤解です。沖田先生には何も……」 「その割には総司の野郎、近藤さんへ宴を催促していたがな。まるで引き留めたいんじゃねえかって思っちまう程だ」  その言葉に桜司郎は沖田の様子を思い浮かべる。病床の身ながらも、意志を秘めた瞳をしていた。あれは戦場へ出て、武士として散り逝くためのものだと思っていた。  もしかすると、そのがそもそも違うのかもしれない。思えば、ああ見えて冷静に周りを見る男だ。近藤や土方の焦りには気付いているだろう。そして桜司郎の思いにも──  そう思うと、居ても立っても居られなくなる。 「八十八君、副長。私、沖田先生のところへ行かなきゃ……」  二人が頷いたのを見るや否や、駆け出した。
/974ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2758人が本棚に入れています
本棚に追加