第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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 思いで胸が詰まり、良い言葉が浮かんで来なかった。そして少しでも沖田を疑った己を恥じる。 ──ああ、このようにも思って下さっているというのに、私は……。沖田先生の覚悟を疑ってしまったのだ。  わなわなと唇を震えさせ、せめて嗚咽が漏れないように必死に堪えた。  その様子を目を細めて見ていた沖田は、そっと桜司郎の肩を引き寄せる。  桜司郎は抵抗することなく薄くなった胸に顔を埋めさせた。そこからは空洞の中を風が吹き荒れるような音がした。彼の肺腑はもう限界に近いのだろう。それでもこうして行軍へ従い、立っていることは奇跡としか言いようがなかった。  同じ音を薄寒い春の日に、馬関で聞いたことがある。自我を失いつつも、尊厳を最期まで保ちたいと抗っていた男の姿が浮かんだ。  無意識のうちに、沖田の着物を強く掴む。  すると、沖田はくすりと笑った。 「……少しでも、お役に立てましたか?」  酷く優しい声でそのように問い掛けられ、桜司郎は何度も頷く。やはり言葉にすることは出来なかった。 「そうですか……。それは良かった。……私は、江戸へ戻ります。これ以上ご一緒すると、足を引っ張ってしまうから。……また、離れ離れになってしまいますが……。どうか近藤先生を宜しくお願いします──」  近藤を宜しくと言った時の沖田の声色は、不安に揺れていた。やはり、近藤の危うさを察したのだろう。  近藤は沖田が武士として死ねる場所を作ってやりたいのだと言い、沖田は新撰組とそれを守ろうとする桜司郎を守りたいのだと言う。土方は近藤が武士として生きられる場所を得たいのだ。  の口実もそれぞれ真実ではあるだろうが、思ったよりも、此度の戦には様々な思いが交錯している。  互いが互いを思うほどにすれ違い、少しずつ歯車が軋んでいく。  一つを直せば、もう一つが複雑になる。  それでも抗い続けなければならぬのだ。
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