第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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 ほんの少し前までは、撤退で決まりかけていたというのに、近藤の一声で一気に交戦へと話しが傾いた。  あれよあれよと軍議は進められていく。その有り様を桜司郎は呆然としながら聞き流していた。 ──駄目だ、駄目だった。折角此処まで来たのに。もう変えられない。やるしかない。やるしかない……  そんな言葉が頭の中をぐるぐると旋回する。  あまりに顔色が悪かったのか、山口が気遣わしげな視線を送ってきた。だが、それに返してやる余裕も無い。沖田が身体を張ってまで時を稼いだというのに、それが台無しになってしまったことが遣る瀬無くて仕方がなかった。 「土方さん、援軍を要請しよう。流石にこの兵数では足止めにもならん。城が既に敵の手に渡ったと知れれば、脱走も増えるだろうし」  永倉の言葉に、土方は僅かに眉を寄せる。事前に、桜司郎から援軍は見込めないことを聞いていたからだ。  土方と桜司郎、山野以外は幕府から捨て駒にされた可能性が高いことを知らない。薄々気付いているのかもしれないが、もしそうと知れれば、今度こそ新撰組は終わりだった。失意のうちに闘志が削がれしまうのは間違いない。  一縷だとしても希望があるからこそ、人は動けるのだ。  故に、誰も公にしようとは言えなかった。 「土方さん、聞いているのか」 「……ああ、分かった。この現状を幕府へ伝えれば、援軍も引き出せるかも知れねえ。城代の怠慢は幕府の責任でもあるからな」 「そうしてくれ。後は陣を何処へ敷くかだ。……山野、何処が良いと思う?」  既にこの辺りの地理に詳しくなった山野は指名されるなり前へ出て、地図を広げる。勝沼村柏尾山の麓を指差した。 「こ、ここに古刹の大善寺があります。甲州街道沿いの上に、周囲には山があるので隠れるにも銃を撃つにも適しているかと」 「分かった。そこにしよう。……良いな、近藤さん」  じろりと視線を向けられ、近藤は小さく頷く。 「案ずるな、此方には幕府から頂戴した砲台がある。薩長などひとたまりもないだろう」 「……あんたは知らないと思うが、敵の装備は幕府のものよりもずっと新しい。あんな古臭い砲では太刀打ちなんか出来ねえんだわ。しかも…………ああ、こんなことはどうだって良い。早く軍議を詰めてしまおう」  何処か呆れた様子の永倉の言葉は刺々しい。  大坂城で療養していた男には最新の戦など分からないと言いたいのだ。一番痛いところをつかれてしまい、近藤はただ押し黙るしか出来なかった。  以降の軍議は主に永倉と原田に山口、山野が中心となって進められる。
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