第伍拾弐話【甲陽鎮撫】

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 援軍を呼びに行くのは土方が担うこととなった。本当はあの様子の近藤から離れたくは無い。だが、実際に幕府から援軍を引き出せる可能性があるのは、土方しか居なかった。  桜司郎は、旅籠の一室に呼ばれる。そこではいそいそと支度を整える男の姿があった。  刀を腰の帯へと差すなり、振り向く。 「……行ってくる。敵の銃には気を付けろよ」 「土方副長──いえ、内藤副長こそ」  わざと言い直せば、土方は苦笑いをした。 「やめろ。折角頂戴した名だが、俺ァ土方のままで良い。……良いか、深追いはするな。駄目だと思ったら直ぐに引け。散り散りになったとしても、江戸でまた合流すりゃあイイ」  彼の目には既に敗走する未来が見えているのだと言わんばかりのそれに、桜司郎は眉を寄せる。 「縁起でもないことを……」 「バカ、何事も最低の事態を想定して動かなきゃなんねえンだ」 「肝に銘じておきます」  軽口を交わしつつ、出て行こうと戸の取っ手に手を掛けた。しかし、廊下から人の話し声が近付いてくる。それに気付いた土方は足を止めた。 「──永倉さん。先程の物言いは良くなかったな。局長が伏見の戦に出られなかったのは、彼とて本意では無かった筈…… 」  どうやら山口と永倉が話しているようだ。土方と桜司郎は顔を見合わせると、気配を消して声を潜める。 「……分かっている。けれどよ、なんか腹が立つんだ。あの人はいつもそうだ……弱音も吐かねえ、一人で背負い込んで。おまけに一人で偉くなった気で居てよう。俺たちは……じゃねえのかい。もそっと、胸の内を明かしてくれたって良いじゃねえか……」  その声音は何処か寂しげだった。遠ざかっていく足音すら、心許ない。  幕府の将として在りたい近藤と、今も昔も変わらないものを信じている永倉。過去に交わっていたはずの線が、今は絶妙に逸れている気がしてならなかった。  それを感じたのは桜司郎だけではない。土方の横顔が物語っていた。  話し声が遠ざかったことを確認すると、二人は外へ出る。 「……なるべく早く戻るが、くれぐれも近藤さんを頼んだ。…………いざと言う時は、近藤さんを連れて逃げてくれ。お前が考えてしたことなら、俺が代わりに責任を取ってやる」 「心得ております。お任せ下さい」  それを聞くなり土方は市村が調達してきた馬へと跨り、挨拶もそこそこに駆け出して行った。
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