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木崎は駅から郊外の方に向けて車を走らせた。
それは、僕たちが通っていた高校のある方角だ。
「先生の葬式は、俺たちの通っていた高校のすぐ近くにある葬儀場で行われているんだ」
木崎が前を真っ直ぐに見据えたまま言った。
「そうなのかい? まあ、どちらにしても助かったよ。だけど、もしも僕がこなかったらどうするつもりだったんだい?」
「その時はその時さ」
木崎はそういうと、小さく声をあげて笑い、「だけど、俺はお前が来ると信じていた。何となく、そんな予感があったんだ」と付け加えた。
木崎のその予感と確信がどこからやってきたのかは解らないけれど、僕はそれについてそれ以上尋ねることはしなかった。
僕がぼんやりと窓の外の景色を眺めていると、木崎が、「ところで」と話を切りだした。
「どうしたんだい?」
「どうしてお前は高橋先生の葬儀に出席しようなんて考えたんだい? あの先生は俺たちの担任だったわけでもないし、特別に人気のあった先生だというわけでもない。むしろ、生徒からしてみれば、いるのかいないのかわからないような、言ってみれば空気のような存在の先生だったと思うんだが」
「君の言っていることは間違いでないだろうね」
「特にお前は数学が嫌いだったから、あの先生の授業なんてこれっぽっちも聞いていなかった」
「数学が嫌いだったわけではないさ。苦手だっただけさ。まあ、どちらにしても高橋先生の授業を聞いていなかったということに違いはないけれどね」
「だったらどうして?」
「俺は、高橋先生に、ある意味において、数学なんかよりもずっと大事なことを教えてもらったんだ」
「あの先生が何を教えてくれたっていうんだ? いつも黒板いっぱいに数式を並べていただけだろう?」
「ああ。だけど、一度だけ、たった一度だけ、俺の人生を大きく左右するようなことを教えてくれた」
「それは何だい?」
「学ぶと言うことは真似をするということさ」
「それは誰の言葉だい?」
「高橋先生の言葉さ」
僕は答えた。
もちろんどこかに原典はあるのだろうが、その原典が何であろうと、それを僕に教えてくれたのは高橋先生以外の誰でもない。
それは、僕にとって、高橋先生の言葉なのだ。
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