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その時の僕には、その教師が語った言葉の意味を理解することはできなかった。
おそらく、僕だけでなく、その場に居合わせた多くの生徒がそれを理解できずにいたに違いない。
あるいは、多くの者達は、あれから二十年近くが過ぎた今となっても、教師の語ったあの言葉の意味を理解できていないかもしれない。
僕にしてみたところで、今でも本当にあの言葉の意味が理解できているのかと問われれば、確信を持って首を縦に振ることはできない。
それでも、他の者達よりは、少しだけあの言葉を理解できているような気がする。
もちろん、僕がそのように思っているだけで、他の者達は僕などよりもずっとあの言葉の意味を理解しているのかもしれない。
だけど、たとえそうであったとしても、僕にとって大した問題はないし、あの言葉の意味を理解するものが増えれば、それを言った教師も少しは喜ぶというものだろう。
僕があの言葉の意味を最初に意識したのは、大学二年生の頃だった。
僕は結局、高校を卒業するまで数学というものを全く理解することができず、当初の目標通り、数学が受験科目にない私立大学の経済学部を受験し、見事に合格することができた。
もともと英語が得意だったこともあって、英語の配点の大きいその大学に合格するのはそれほど難しくはなかったのだ。
しかし、大学に入学したものの、僕にはこれといってやりたいこともなく、将来的になりたいと思えるような職業もはっきりと定まっていなかった。
もともと大学に入学できればそれで構わないとしか考えていなかったし、大学は社会にでる前に与えられるモラトリアムであるという程度にしか考えていなかったのだ。
しかし、大学も二年生の終わりになってくると、周りの友人たちは就職についての話を始める。
気の早い者たちはインターネットで企業情報を集め、あるいは資格試験受験しようと考えている者たちは専門の予備校に通ったりし始めていた。
僕としても何らかの目標を定めなければならなかったのだが、どんなに考えたところで、僕はその目標を定めることができなかった。
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