修羅の果て

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(潮流) 「そろそろ引きあげませんか?」 山下が平畑に話し掛ける、 二人は元々は、ある会社の社長とその部下のあいだ柄であった。 その会社の創業者は平畑の父親1974年中東紛争勃発をきっかけに始まった石油ショックのさなかに誕生した。 (株)幼児食品、というちょっと風変わりな社名の会社で、幼稚園向けに給食を製造販売していた、 この物語のスタート時点では年商15億従業員350名、父親から引き継いで個人経営としてはまずまずの業績であった、 とりわ環境問題に対す取り組みは各方面からの評価が高く、 食品リサイクル法なる法律の食品残滓再利用の基準は100%のリサイクル率、 社内3工場と炊飯加工センター及び事務所から排出されるその他の廃棄物含め95%の再利用を誇り生分解性樹脂への切り替えなど当時としては最先端と平畑社長が自慢話をしても恥ずかしく無い状況の中で問題は発生した。 当時、自社便で食品残滓を運び込んで粉砕→分別→蒸気殺菌→発酵させて養豚用飼料を製造し自社飼育の子豚に与え育った豚肉を給食で使用し、 リサイクルループの構築に熱意を持って取り組んでいたのが、 排出側企業(株)幼児食品の企画室の山下とドライバーの新川絵里香、 リサイクル側(株)ピュア・フードの夏井雅美プラント責任者の昆祐介、 プラント開発者、 (株)日本麹研究所の山本社長であった。
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