序章・虎と竜

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__東北の最南端に位置するわずか三万石の小さな国の名は、奥州水石藩。その国境(くにざかい)の山中でのこと。 真夜中の月が真円を描いたこの日。 青白い月が、鬱蒼(うっそう)と生い茂る樹々の合間を縫うように、その光を射し込んでいた。 道とも言えぬような獣道を照らす月の光は、この森をひた走る若者ふたりが、どうか道を間違える事のないようにと、微力ながら手助けしているようにもみえる。 「どうした寅之助、もたもたしていると役人供に追いつかれちまうぞ」 前をいく青年はそう言いながら後ろを振り返り、こと楽しげに走る。 まげを結わない歌舞伎の連獅子のような白く長い髪が、疾走する風になびく。 その前髪からのぞく左眼が、古い刃物傷によって塞がっていた。 この男を、人は『神谷の悪竜』と呼ぶ。 そんな彼の後ろを、まだその顔にわずかな幼さを残した少年が走る。 名は村山寅之助。 「竜、役人供の的はあんただっ。俺のことはいいから、さっさと山を越えてくれっ」 遠くから松明(たいまつ)の明かりと、数人の男の声が聞こえてくる。 どうやら彼への追っ手らしい。だが、少し前と比べて、その数はずいぶん減っている。 寅之助はそれを見ると、徐々に走る速度を緩め、ついに足を止めた。 「竜……あんたは俺にとって兄であり親友だった。これが今生の別れだなんて思わねえ」 袴(はかま)の腰に太刀一本を差した武家の次男坊村山寅之助は、竜へ背を向けると、迫る追っ手を前にして、ゆっくりと白刃を抜いた。
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